みずから書き、みずから滅ぶってこと。

中田満帆 / a missing person's press による活動報告

愛と人道の裏側で

だまされた気分はいかがですか?──山下晴代氏へ

http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=331209&filter=cat&from=menu_c.php

 

 「大衆の天賦の才」という詩でハンク・ブコウスキーがいっているように《憎しみにもっとも長けているのは愛を説くもの》というわけだ。これがぜんぶだ。わたしは長い悶着をやった。ひどいやりとりで、相手がたしかな悪意を持ってこちらを傷つけようとしてた。性別でものをいうのは現代にそぐわないが、女を敵にまわして長生きはできないというのはその通りだ。しかも還暦で、「アベ政治を許さない」詩人の妻で、人道問題に入れ揚げる自己愛性人格障碍者には。人格障碍には病識がない。本人は自身が病気だということに気づいていない。だからなにをいってもむだだ。しかもたちのわるいことに社会生活がうまくいっていれば周囲の人間も疑いを持たない。だがネット上になると恐ろしく凶暴になる人間もいる。あるいは社会的地位の低い相手に対して冷酷になるのもいる。
 わたしが問題にしたのは、SNSでのわたしの投稿に対して行われた言動についてのみだ。だというのにむこうは話を拡散しつづけるので、こちらとしてもいったいなにについて論じているのかがわからなくなっていく。単純化すれば、かの女は根幹の問いに答えられない。だから枝葉が多くなる。以下のようにかの女の非難対象は上下左右にスライドしていくのである。まっとうな話なんか通じるわけがない。倫理の欠如そのものだ。

 

  →希死念慮
  →ひとびとを騙そうとしてる
  →公共のため
  →600万人の障碍者が迷惑する
  →教育課程あるいは水準へ揶揄・誹謗
  →じぶんが善意で書いた詩集評を無断でツイートした、利用した
  →谷内修三と婚姻関係にあること無断で暴いた
  →4,5年まえの書き込み(現在残っていない情報)を基にした憶測や非難
  →あなたの言動は殺人と同等
  →ひとと喧嘩して逮捕された
  →現在居住している部屋に(親の支援があって入居した、風呂つきか否かなど)
  →童話作家森忠明の発言(指摘にあるような発言「サカキバラより危ないやつだ」は存在しない)や作家として認知度や経歴を誹謗
  →同情を利用して作品を買わせている(なまえの挙げられたのはたったひとり)
  →言葉の誤用や意味のまちがい、ミス・スペルの類い
  →wikipediaにじぶんのページをじぶんでつくってる
  →態度、上から目線
  →そもそもあなたに関心はない、どうでもいい

 

 あとは「頭が悪い」とか「ばか」とか「小中学校もいってない」といった煽り文句を飛ばすだけだった。知性のかけらもない。終盤は過古について「いった、絶対にいった」の強弁。まるで最近の国会じゃないか。正義の天下り官僚と独裁政権のそれである。記録にも残っていない発言について糾弾された。正直、気持ちがわるくなってしまった。たんに相手を疲弊させるといった点ではうまいが、論点がつねに移動していてなにを目的としているのかはわからない。これを女性特有のものといいたい欲求にかられるが、それは禁じ手だ。わたしが主張してきたのは大まかにいって下記の通り。

 

  ・わたしの投稿を共有したうえで嘲笑的なことを書くことへの異議
  ・わたしは同情を引いてひとを騙そうとしていない
  ・山下のブログに書かれてあるわたしについての記述に事実とちがう部分がある(親の支援、喧嘩、職なし)
  ・上記についての訂正あるいは削除

 

 かの女が遠くの絶対的弱者──そういえばおまえはロヒンギャ族を知らないだろうともいわれた──などを偏愛する一方、近くの人間に対しては憎悪で塗り固めている。対象がじぶんより弱くなければ、そして正しくなければ許容できないのかもしれない。かの女のタイムラインでは海外の動物愛護、人権問題の記事や動画が共有されるいっぽう、大きな文字で他人のことをいぎたなく罵っている、嘲っているものもある。かの女の友人たちやフォロワーたちはいったいなにをおもっているのか。その落差が魅力なのか。わたしやほかのひとに対する陰口に「いいね!」をいつも押している人間がいる。ぞっとしてしまう。
 今村征一(石川県で俳句をやっている70過ぎの男。@saigawatedori)、今井義行(神奈川県の詩を書いている男。@swrd21)、橋本正秀(70代ぐらいの男)、津田直樹(宇都宮市の30代らしい男)とか渡辺信雄(「ひょうご・こどもの詩と絵」編集とある)、二宮清隆(日本詩人会、埼玉市詩人会、小樽詩話会、旭川市)。流れや内容が読めているのか、それとも反射的な反応なのかはわからない。この男たちはなにを考えているのか。
 わたしはいちおう和解案として下記の書き込みをした。

 

あなたがわたしについての発言やブログの記述を削除するのなら、わたしもあなたについての発言やブログの記事を削除します。今后あなたがわたしに言及しないのなら、わたしも言及しません。

 

 しかしかの女はわたしの提案には反応しなかった。それどころか、終結宣言後にページを一時閉鎖し、じぶんにとって都合のわるいコメントを削除した。山下晴代が他人の投稿を穢すのはまっとうで、おなじようにやるのはそうではないということだ。今后もかの女は装飾品のように世界的な悲劇をまとい、気に入らない他者を一方的に非難しては勝利者を気取るだろう。それはどうしようもない。またなにかお気に召さなければ、わたしにむかって吠えるだろう。相手にしなければいいだけだ。かの女は社会的に成功している病者で、わたしは成功はしないまでも病から恢復しつつある病者だ。場外乱闘を演じているわけにいかない。年寄りの見当狂いな正義のために若いとはいいがたいが、わたしの労力と時間を遣うわけにはいかない。──と、ここまで書いてもう一度山下のタイムラインを確かめると、長々とやりあった投稿欄をまるごと削除してしまっていた。しかしだからといってわたしに関連するものがないというわけではない。自身の一方的な文言は健在で、

 

 管見によれば、「障害」ではなく、「義務教育」の欠如の問題。

 

 中田某氏に同情している人々が、騙されないのが目的であって、氏にはまったく関心ないので、これで終わりします。

 

 どーでもいいですけど、「当時」は、親切にあげたと思いますが。

 

 自分はどんなことを言われてもなんとも思いません。そういう訓練をしてきたからです。世間の人々のために動きます。今回は、善意の人々のため。

 

何者でもないからバカをケナしているとか、自分は何を言われてもなんとも思わないです。ほめられたいと思ったことは一度もないからです。

 
 じぶんはなにをいわれてもなんともおもわないからといって他人になにをいっても赦されるわけではない。結論をいってしまえば、こういったひとは「謝ったら死ぬ病気」なのだ。だから本筋とは関係ないところで相手を非難したりする。いくつもの例外や過古を現在形で量産し、相手を疲弊させ、痛めつける。わたしのように自己愛の足りないものにとってはかの女の言動は凶器以外のではない。偏愛は憎悪の裏返しでしかない。それを認識させることはできない。ネット上には珍しくない。こういったひとびとは、わたしのような人間が発言するとき、それが論理的にどうか、倫理的にどうかといったことに悩んでしまうのを無意識に見抜いている。そういった躊躇うを狙い撃ちしているのだ。以下にチェック・リストを残す。それに当てはまる人間とははなれたほうがいい。


  日常的にSNSで人道や動物愛護について発信あるいは共有している
  日常的に散文を書いているが文章は論理よりも感情が優先する
  国内問題に関心が薄くか皆無、反して海外問題に対して関心が非常に高い
  自身を絶対的上位に置いている
  極端な賛美や偏愛のいっぽう他人を攻撃する
  攻撃相手に嘲笑的で対等にはならない
  相手の倫理、道徳、思想信条、教育水準といったものを断罪するか嘲笑する傾向
  上記を根拠に差別に満ちた発言もするが本人としてはそれが正義
  弱者=正義(しかし同国人は例外)
  進歩的文化人あるいはサロンの住人
  自身の自慢は肯定、他者のは仲間以外は否定
  他者の批判を赦さない
  女で犬好き

 

 じゅあな、安らかに眠ろう。

 

自己愛性パーソナリティ障害のことがよくわかる本 (健康ライブラリーイラスト版)

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パーソナリティ障害―いかに接し、どう克服するか (PHP新書)

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文庫 他人を支配したがる人たち (草思社文庫)

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良心をもたない人たち (草思社文庫)

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ナフ川の向こうに―バングラデシュで生き抜くロヒンギャ民族

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貧困世代 社会の監獄に閉じ込められた若者たち (講談社現代新書)

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 追記:09/13

 

この一件をもとねたにして短篇を書こうなどとおもってた。けれどそれはちっぽけな争いごとを愉しんでしまう、わたしのばかげた習性の発露にしかならないのでやめておいた。

けっきょく山下氏がわたしのアカウントをブロックすることで決着がついたようだった。かの女はわたしについて追加に言及せず、いまもおなじような散文を書いてる。批評もどき、詩もどき、そして慈善もどき。

 

松下育男氏のページに辿りついてしまったら、すでにブロックされていました。どちらがストーカーだ?と思いました。https://twitter.com/kumogakure/status/889942728200421376

 

あいもかわず、かの女はユダヤ人やアフリカ難民、シリア難民、ロヒンギャを引き合いに出して、他者を断罪する。しかしとわたしはおもう。かれらは他者への断罪や不幸の相対化のための道具として引き合いにだされることを喜ぶだろうかと。

かの女はいまだにわたしについてのブログの記述を改めようとしない。そして「プライバシーの侵害」とかの女が指摘する、わたしの記述──谷内修三との婚姻関係について──を訴えるわけでもない。

ひとを痛いめに遭わすのは好きだが、その反対は許せないというわけだ。もちろんだれだってそうかもしれない。

 

 

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