みずから書き、みずから滅ぶってこと。

中田満帆 / a missing person's press による活動報告

夏の諍い──山下晴代氏とのいざこざ

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 もうじき引っ越しだ。あとは引っ越し業者を決めるだけ。もうじき業者来るまえ、この文章をやっつけてしまおう。4万5千の物件から3万9千の物件へ。これから書くことは気持ちのいいものじゃない。大した意味もない。ただおれの靴についた虫かなんかについて言及する。

 数年まえ、'12-15年ぐらのこと。谷内修三の奥方の山下晴代氏と知り合ってなんどかやりとりした。といってもそれはみなfacebook上でのことで、いまや過古だ。'14の暮れから'15年はひどい精神疾患に悩まされてたし、無作法な言動のなか、けっきょくいまでは「友だち」ではない。何度かログインができずアカウントを作り直したさなか、むこうから切られてしまった。

 きのうの夜、日記の改変してfacebookに投稿した。もちろんのこと、ただおもいつきであって他意も意図もない。そうしたところ、朝には山下氏からコメントがつづってあった。

  

 

お金とヒマをもてあましている老人たちが目立つFBですが、こういう「若者」もいます。この人は、5年前か何年前か、かなり昔から知って、FBもやめたり、またやったりしているものだから、もう「友だち」にはなっていません。

しかし、こんな「若者」ができてしまったのは、親や世間が、甘やかしたからではないですか?

また「死ぬしかない」などという、「いつもの」切り札で、善良の人々の同情をひこうとしていたので、世の中のためにならないと、コメントしました。後学のためにご覧ください。

 

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「拙コメント」

あなたの書き込みを初めて見かけた5年前だか何年前にも、「この秋には自死する」と書いていました。それから何度、「死ぬ」と書いていることか。いったい切り札を何枚持っているんですかね(笑)? たとえば、貧しい国の路上生活者の若者は、パソコンも待っていなければ、冷房付きのマンションにもいない。詩集だって出せないでしょう。私の大学時代よりはるかにいい暮らしは、おそらくは親御さんが多少の援助をしてくれているのでしょう。いつも世間への不満ばかりで、「ヘルパーの老婆」とは、なんたる言いぐさ。それに、あなたの「先生」とかいう人もいったいどういうつもりなのか? そして、ここを覗くかぎりは、支援してくれていた方々もいたはず。しかし、その人たちへの感謝の言葉もない。

あなたが初めて「死ぬ」と書いていたのは、二十代でした。まあ、おそらくあなたは絶対に死ねず、これ以上墜ちることができないところまで墜ちて、汚らしい老人になっていくことでしょう。そして、誰も同情してくれなくなる。

シリアなどの難民の子供たちがどれほど辛い目に合っているかなど、あなたの眼中にはなく、いつも「自分が、自分が、自分が」、自分ほど世界中で不幸な人間はいないと思っているみたいですね。

Facebookも、何回やめて、戻ってるんですか(笑)?
私は『新潮』8月号を批評した後半に、あなたのことを書いていますよ。朝吹眞理子という、あなたと同年齢の、おそらくはすべてに恵まれ、悠々と作家活動をしている作家と比較して。その人よりは、あなたの方が不幸だとは思いますがね。

 

 後学のためとはいったいどういうことだろう。そんな効果を持つような取り上げ方ではなかった。かの女がいうようにブログでわたしについて言及されてた。

 

『新潮 2017年 08 月号』──文芸誌の終わり(★) ( その他文学 ) - 山下晴代の「女はそれをがまんできない日記」 - Yahoo!ブログ


まったく同じトシの男性で、Facebookで、作品を発表し、かなりグレているやつを私は長い間「観察」(笑)してきが、才能はむしろ、その男に多くあると感じられるが、職もなく、しかし実家はそれなりに支えてくれているほど貧しくはないのだろうが、ケンカをしては豚箱に入り、精神病院にも入っていたようで、最近は念願の童貞も捨てたようだが、どーだろうー? 彼は、彼があこがれる無頼派作家、ブコウフスキーのように無事、才能のきらめきのなかで「夭折」できるだろうか? 

 

 すぐに調べればわかることも調べてない。わたしはFacebookで作品を発表してない。実家からの支援などない。わたしはバーテンの仕事を辞してから作業所や単発の派遣をしてる。喧嘩でブタ箱に入ったことはない。

 かの女の「友だち」から削除されたはずなのにこうして反応が帰って来る。本人としては「耳痛い意見」のつもりなのだろうが、それはお互いに信頼があってこそだ。これでは偏見と主観に基づいたマウンティングでしかない。以前にもわたしが図書コードを取得し、個人事業主の届け出を出した際、かの女からのメッセージがとどいた。《自主出版まら自己満足なのでISBNコードはいりません》とあった。そんなのことわざわざどうしてメッセージで送ってくるのか。わたしは適当に受け流した。
 ひとの書き込みを覗き見して、わざわざ反応を返してくる。わたしはそんなことを頼んだつもりはない。じぶんから縁を切っておいて接近してくるのがわからない。実際が「世の中のためにならない」というは建前や免罪符でしかなく、自身の感情を害するものをこき下ろし、仲間からの同意を得たいというだけでしかない。じつに不毛だ。
 わたしは自身の言動に問題ないとはいってない。むしろ多すぎるほど多い。それを解決するのにあがいてるだけだ。わたしは有能でも有望でもない。ただひとりでできることをやってるに過ぎない。
 じぶんの気に喰わないものには、無条件で断罪されるべきであり、どんな嘲りも赦されるというのがかの女の見解なのだろう。

 

ちょいと金があると、顔を直して句会三昧。その金を、難民の子供たちに寄付したら、もっと美しい顔になれるのに。

 

 こういったものを得意気になって書き込む神経をわたしはただしいとはおもわない。かの女は作家とはいえないし、ブロガーか? いったいなにを生業にしてるのかもわからない。谷内氏も才能や読みは大したことがない、読むべきものがない(だからこそ、よりによって九条護憲本なんかをだすのだろう)。ただいえるのは、味方になる気もないくせにわたしに馴れ馴れしくちょっかいをださないでくれってことだ。

 かの女はfacebook上にて頻繁に衝突を起すらしく、blogにおいては下記のように書いてる。 

 

数年前に奥さまがお亡くなりになったと書かれていたが、そのわりに、「配偶者の死」の前と後で、そのバブリーな書き込み(あの店にいった、これをごちそうになった、「会合の前にビールをいただいていった」(一杯ひっかけていってもOKな会合って、どんな会合だ?笑)、あれをもらった……てな書き込みばかり。

kumogakure.blog.so-net.ne.jp


 けっきょくかの女が問題にしているのは相手の倫理であって、それ以上ではない。SNS上で語ったことでどうして相手のすべてを決められるのか。そこに書かれてあるものがほんとうである保証もないし、そこに書かれてあるのがそのひとのすべてでもない。あくまで一断面に過ぎない。何倍にも拡大解釈し、あるいは曲解し、個人の心的領域まで土足で上がり込んで踏み荒らしている。そんな権利はだれにもない。


「辛い人生」と、あえて自分で言うか(笑)? それでは、シリア難民や、ユダヤ絶滅収容所の生き残りは、どうなるのか? そういう辛い経験が、人をまっとうにするのではないのか?


 要は《世界的に報道される悲劇に較べれば、おまえの悲しみには価値はない》というわけだ。シリアやユダヤにやたら肩入れしているが、そんなものは自己満足に過ぎないし、それを持ってきて他者への攻撃に使用するのはまっとうなことではない。倫理や道徳、あるいは作法、言葉遣いについて意見をするのはわるいことではない。ただその目的のためなら、どんなことをいってもかまわないということにはならない。

 

詩人が読み解く自民党憲法案の大事なポイント 日本国憲法/自民党憲法改正案   全文掲載

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憲法9条改正、これでいいのか 詩人が解明ー言葉の奥の危ない思想ー

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リッツォス詩選集――附:谷内修三「中井久夫の訳詩を読む」

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 もし最初の反応にわたしが平謝りするか、受け流してたら、ここまで拗れはしなかったとおもう。あまりの暑さでいまおもえばおかしかった。実際かの女としてもちょっと懲らしめてやろうぐらいだったのだろうけど、そいつを跳ね返したためにばかげたことになっちまった。かの女としてわたしに裏切られた、騙されたとおもってるのだろう。たしかにわたしはかの女の評価に値する人間ではなかったというわけだ。おそらくかつて評価をした相手が実は希死念慮を書かれた30男で、がっかりし、そいつを認めたことが羞恥になった挙句、件の投稿によって憤満が爆発しちまったんだろう。

 

 中田 あなたがなぜわたしの書き込みを観察しているのかがわからないですね。もっと精神栄養になるような存在がいるのではないですか。この「日記風」の語りには大した意味はないです。わたしは親とは前縁されてしまっているし、どこに棲んでいるのまかも教えてはくれません。しかし、それは自業自得のことで、どうしようもないことです。《しかし実家はそれなりに支えてくれているほど貧しくはない》という文言の根拠なんでしょうか。世間に対して不満というよりは、それについて行けない自身への羞恥や焦りや不安です。わたしを支援してくれるひともいるが、それは地域の障害者支援だったりで、ここで繋がっているひとびととは、ほとんど対話もなにもありません。4人のうち二人とは実際に会っていて、そのうち1人とは14年ぐらいのつき合いがあります。支援については直接感謝を伝えているので、なぜここに表明する必要がとおもいます。
 わたしの余生がどんなものか。それはあなたには関係のないことだ。ただいえるのはシリアに眼を向けるにはそれ相応の暮らしの安定と当事者意識が必要だろうということです。そういった紋切型の諭しには辟易しています。あなたの主観ありきでわたしの内部を決定されてもわたしには答えようがありません。
 けっきょく山下さんもじぶんより劣った存在を嘲笑したいだけなのではないのでしょうか。わたしはたしかに劣っているが、だれにもわたしを嗤う権利などない。わたしはただ自身に付随する問題を試行錯誤しながら解決しようとしているだけだ。相談できる相手が身近にいればいいが、いないからひとりで考えたり、動いたりしているだけです。それがまちがっているというのなら、山下さんが今后もわたしに対して「観察」し、主観とおもいこみで書き込みをされるのであれば、わたしは拒絶します。

 

 山下 世間に何十万といる障害者の方が迷惑するんですよ。あなたみたいなのが、障害者だといって、世をすねたことばかり言っていると。私は好奇心が強いので、ほかのところも覗いています。それでブロックされることもありますけどね。ブロックすると、相互が見えなくなるので、極力ブロックはしません。ご迷惑なら、どうぞ、そちらでブロックしてください。はっきり言って、あなたみたいなクズを告発したからといって私には、なんの利益もありません。見て見ぬふりもできましたが、多くの善意の方々が、「騙され」ているような気がして、あえて、公共のために書き込みしました。

 

 中田 うぬぼれが激しいね。公共のために? 私憤と義憤の区別もつけられないではないか。「多くの善意の方々」とはだれなんだ。わたしのこの場の書き込みよって利益を得たこともないし、騙してもない。他人は他人だ。 障碍認定がある以上、わたしがそれを明らかにしようが、それはわたしの自由意思だ。たしかに迷惑な言動があることも事実だが、わたしはそれについて改善しようとしてる。あなたがあなただけの倫理観や正義感を満足させるために「世間」とか「障害者の方」、「多くの善意の方々」、「公共のため」だとか、目に見えない、あやふやで、定義しようのない総体をだして非難するはやめろよ。それは卑怯だ。いい加減主体をはっきりさせようじゃないか、山下個人の感情が出発点なのか、それとも特定のひとびとがわたしに意見があるのか。あきらかに主体はあんたの個人的感情のみだ。谷内もそうだが、あんたら印象でしかものがいえなんだ。じぶんが正しいものは不特定の多数にとってもそうであるという論法でしか考えられないんだよ。読めないやつには書けないし、書けないやつには読めないんだ。騙されたとおもってるのは「多くの善意の方々」ではなく、他ならぬあんただ。だから被害者としてわたしを断罪するというわけだ。しかし他人の倫理を問題にする以上は、じぶんのも問題にされねばならず、それを拒否するというのならダブルスタンダードでしかない。

 

 山下 あなたには関心ありません。善意で親切にしている人々が気がついてくれることが目的です。いつまでも恨み言を書いてなさい。私はほかにやることが山ほどあるので、もう関わり合いません。私が関わり合わないと言ったら、関わり合わないんです。あんたとは違いますからね(笑)。

 

 中田 じぶんからひとに絡んで、じぶんから撤退宣言なんともご自由ですね。そして相手が受け入れなければ、義憤にすり替える。うらやましいかぎりです。ぜひその「善意で親切にしている人々」を全員引き取ってください。わたしには分不相応です。ではよい週末を

 

 けっきょく山下氏は表面的な読みしかできないので表面的にしか書くことができない。上辺をなぞるうまいが、そこで終わってる。だからこそかの女自身の言動に根拠与えるのは「世間」や「善意で親切にしている人々」や「何十万といる障害者」などかの女の内側の存在だけなのだ。どうにもかの女のなかにはあるべき障碍者というのがあるらしい。それに適合しなければ名乗ってはいけないということだ。そういった考えこそが差別でしかない。

 以前、「文学極道」にて「あなたの存在にうんざりし」と名乗る人物から非難をされた。その人物も相対貧困などいうものを否定してるらしく、《アフリカに比べれば》とか《自分は年に数百万単位で寄付をしている》などと宣ってた。イメージのなかの絶対的弱者あるいは数字のなかのそれには敏感だが、眼のまえの存在にはどうしようもなく認識が弱い。かれかの女みたいな人間から見れば、大抵の人間は「自己責任」で片づけられてしまうだろう。

 あとでかの女のタイムラインを見ると、そうとう据え兼ねているようで、でかでの文字投稿でわたしについて書いてた。

 

中田某氏に同情している人々が、騙されないのが目的であって、氏にはまったく関心ないので、これで終わりします。


何者でもないからバカをケナしているとか、自分は何を言われてもなんとも思わないです。ほめられたいと思ったことは一度もないからです。

自分はどんなことを言われてもなんとも思いません。そういう訓練をしてきたからです。世間の人々のために動きます。今回は、善意の人々のため。

 

日本には、成人の(身体+精神)障害者が600万人以上います。それらの人々の何人がFacebookで喚いてますかね? こういう方々が迷惑します。バカがいると。

 

 最初のコメント、メッセージ、シェアでの文言を見るかぎり、かの女がはじめから外部要因などのために書いてないのは明らかだ。ただ苦しまぎれに虚言を弄してる。ほんとうに啓発したいというのなら、その軽い調子で書かれた第一声およびシェアの文言を改めてはどうか。そして中田満帆という人物がいかにしてひとを騙し、世間や障碍者に迷惑をかけようとしてるかを解説するべきだ。

 感情や表面でしか読んでないものだから上辺にあるものしか読み取れないし、書くにあたっても上辺を撫でただけ、あるいは自身の感情や偏見によってゆがめられたものしか、かの女の文章にはない。批評でも分析でもない、文学的装飾のついたおもいこみでしかない。そこは谷内修三の詩の読みとも低通してる。

 まったく関心がないのにブログで言及したり、まったく関心がないのに投稿に絡んだり、まったく関心がないのに挙げ句の果ては人助けまでする。なんて情熱的な御仁なんだ。 かの女の行為になんの意義があるのかはわからない。まあ、ただおれひとりをいなくなって600万人が助かるのならいいかも知れない。同情? 善意のひとびと? 会ったこともない、なまえも知らない障碍者? かの女の投稿に「いいね!」を入れてる男たち──そんなもの、もちろんおれの知ったことじゃない。

 

つづき→「愛と人道の裏側で──ぞく・山下晴代に寄せて」http://mitzho84.hatenablog.com/entry/2017/07/31/194333?_ga=2.55251823.511948895.1590575363-1974940982.1544014202