みずから書き、みずから滅ぶってこと。

中田満帆 / a missing person's press による活動報告

恋がしたい──ぞく・おれというペスト

 

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 ジョン・ルーリーはおれを赦してくれたようだった。だったらどうだって?──もういい。駄べりの好きな、口の巧いひとびとがなんとも目障りになり、おれはまたひとつのゲームから降りることになった。もちろん多くのものと袂別しなければならない。どこかしら通底するところのあってつながっていたひととも。おれは疲れた、憑かれている。潔く去るしかない。
 日曜日、職場のオーナーである未亡人からの誘いで、横尾忠則現代美術館へいくはずも携帯電話がない。見つからない。おもいだすかぎり、先週の水曜日に触ったのを最后にして行方知れずだ。室を掻きまわし、問い合わせの電話を入れるもつながらず、店に出向いた。曰く利用停止を申請した電話をGPSによって探すことはできない、という答えだった。おれは入院と療養中の滞納分を払えなかった。ふた月分である。分割はできなかった。それでというわけで金が貯まるまで待ってもらえるようにしたのだが、こうなってしまった。おれは金については要注意人物で、すでにリストに載せられているから、新しい契約をほかで結ぶこともできない。ほんとうのところ、携帯電話なんざ好きではない。それでも連絡に差し障りがあるというのは居心地がわるかった。そもそも水曜日、おれはなにをやっていたのか。昼に出かけてから、いちど帰って映画を観、ふたたび出かけた。牡蠣丼を喰い、そのあまりの不味さに気分がわるくなって、どっかの便所でぜんぶ吐いた。それからの記憶がない。
 それから今週の水曜日。救急外来の世話になったが、肝心な問題はわからないまま。頓服をもらって帰った。そしてそいつが効かないこと、みずからの死が近づいてるのを感じとった。ひどい寝起きだ。おれたちのそれぞれの軍隊をなだめながら、いまはこいつを書いている。もしかしたら、また入院になるやも知れない。望みはある、ただ躰がまったくついてこない。死ぬのはかまわない。ただ痛みの極みのなかで、みずからの意思とはかかわりなく死にたくはない。それならイグジット・バッグをかぶってバルーン・タイムの栓をひらいたほうがずっといい。バルーン・タイムならすでに買ってある。命を粗末するひとはきらいだって?──しかしきみのその科白と、きみの行動はまったくもって一致してないではないか。おれに死んで欲しいのか、欲しくないのかすら不明じゃないか。世界が砂に埋まれるのか、アイス・ナインがすべての水を氷に変えてしまうのかはわからない。ただいえるのは、ものごとはすべて異口同音で、おなじ現象の反復と増減でしかないということだ。いまさらジタバタしたって、古今和歌の時代から、まったくちがうおもいを吐きだすのだってできやしないんだぜ。せいぜいわるくない女を抱いて、わるくない文化に触れるくらいが関の山である。
 木曜日にもおなじ病院へいった。それから近所の内科へ。いちばん強い鎮痛剤を二種類だ。ともかく痛みで寝起きもままならならなくなっていた。左半身がどうしようもなく痛む。鳩尾、脇腹、下腹部、背中と、動くと動かざるを問わずにである。おれは参ってしまった。金欠のときほど、わるいことは起きる。まさしく弱りめに祟りめ。しかたなくおれは内容証明をつくって、未払いの賃金について問い合わせた。相手のことは以前、短篇のなかでも書いていて、大阪の門真にその寮がある。うまくいけば、3万ちかくはかたいはずだ。悪足掻きとはわかっていても、なにかをせずにはいられないのだ。それが愚かものの証しである。

 

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 日曜日。馬はだめだった。馬というよりもおれ自身がだめだった。電話は見つかった。ちょうど機種変更の話をしているところへ発見の報せと来た。もし携帯電話がなければ、酒場への本採用も消えてしまうところだった。おれは滞納金をオーナーに借りることにして室に帰った。
 月曜日。オーナーはおれの携帯電話の支払いのために金を貸してくれ、おまけに家電のためにボーナスを前払いしてくれるという。前者はともかく後者には少し怖気づいてしまった。おれはそこまでのやろうじゃないというわけだ。それでもともかく話をまとめた。おれは「ひとに誉められたい」というだけの、ちっぽけで、からっぽな人間でしかないからだ。シオランはそういった欲望を《これほど恥ずかしい弱さを公然とさらけだすよりは、冒瀆のありたっけを犯した方がずっと名誉なことであるから》と、だれもそいつを打ち明けない理由を語っている。そこいらの人間とおなじくおれだってなんにもわかっちゃいないくそばかだとしても、おれはそういった弱さや疚しさを正直に語りたい。ほかの連中が涼しい顔を決めていれば猶のことである。おれは生来から多数派の人生を嫌悪していたし、事実それとはちがった人生を送っている。おかしなやつとおもわれるのは癪だが、それはしかたがない。それこそおれが望んでいたことだから。それでも多くの期待は失望に、好意は悪意に成り果てたのが、この三十余年だった。絶えまなく、傷つけて来し、傷ついて来た。多くのひとがおれから去っていった。それでも残されたもののために書いている。
 火曜日。午前7時。きのうになってようやく詩集に添付する絵葉書を印刷した。ぜんぶで、4種8枚。まあ、こんなもんだろう。イラストレーションの報酬も入るし、まあまあな月末だ。おれには確かな才能がある。ただ、その行使がうまくない。いつも躰とおもいが一致しない。傷は完治してない。肝臓の数値があがってる。それでも、きっと来年はマリブ・ビーチあたりで大笑いしていることだろう。若死にしたいという欲望はある。負けの美学ってやつなのかはわからない。死んでしまいたいというおもいはある。だが、それはいま行使すべきではない。おれは恋がしたい。最后の可能性に賭けて、最愛ってものに出逢いたい。この齢いになって、ほんとうにひとを好きになるのはむつかしい。「人生で恋ができるのは3度まで」なんてことを伊丹十三が書いていた。12歳、16歳、23歳──とっくに3度を過ぎていた。よっぽど頻繁に会わないかぎり、他者に対してつよいおもいを抱けない。おれはすぐにひとのなまえだって忘れてしまい、度々非礼をやらかしてしまう。どんなに好みの女性をまえにしたところで、熱くなれなくなってしまっている。それでも恋がしたい。おれはふたりのひとをおもい浮かべ、かの女たちの顔や、声、交わした会話を反芻し、熱い茶を淹れた。──そうとも、恋がしたい。わるい記憶をすべて塗り替え、呼吸法を新しく学習するんだ、ペスト(迷惑な人物)なおれとはオサラバを決める。近頃、ふたりの女性が気になっている。ただ好きといえるほどじゃない。
 バーテンダーの職は手段であって目的ではない。賃仕事は、しょせん他人のための、他人がつくった、他人の仕事だ。おれはおれ自身の仕事を確かなものにしたい。そのために金がいるからやっているだけだ。用済みになれば、やめてしまえばいい。三十を過ぎて、充たされず、なにもかもが夢のままで、ひとに使われるなんざおぞましいかぎりだ。いつまでも人生を切り売りして暮らすわけにはいかない。そんな暇はない。おれはなにひとつ諦めていない。できることをぜんぶやりたい。
 水曜日。つくづくいまの職場でいやなのは、業務とは直接関係ない物事をとやかくいわれることだ。その夜、おれは本を持って来ていた。筋力トレーニングについての指南書なのだが、それをオーナーの未亡人が見つけ、「あたしもHくんも自己啓発本なんかきらいなんだよ、そんなもん読んだ時点で終わってるッ!」──そういった。いったいなにが終わるのか? 人生? 世界? 業務スーパーの営業時間?──かつておれに「おまえの人生、終わってる」と放言した醜女の同級生がいた。休みの時間、かの女はいきなりふり返ってそういった。なんのために?──名塩グリーンハイツにかの女の実家があるから、もしかしたら理由がわかるかも知れない。どうだっていい。
 ともかくオーナーの口ぶりが不愉快だった。それにH氏のふるまいもいけ好かなかった。かれはいつもじぶんがなにがきらいかを繰り返し、捲し立てている。SNSをやる人間、電子メールを送る人間、バッド・エンドの映画、藝術気取りの映画、日本映画、あれをやる人間、それを好む人間、だれそれ、そのほか。笑顔でそういったざれごとを曰う。女客相手には「恋人なんかいらない」とか「血筋を絶やしてやる」とか、ひたすら自身の孤独について明るくいっているが、そういった言辞が反動的なものでしかないのはあきらかだった。むきだしの嫌悪や諦観は、匿された恐れと不安でしかない。それはおれ自身、憶えがあった。かれが明るく話せば話すほど、おれは白々しく、苦いものを感じる。好きだ、きらいだとおなじ話を1日に幾度も聞かされているうちに、だんだんと、かれ、かの女の虚栄が透けて見えてしまった。他人の人生観や価値観が、そこから生まれる指摘が、なんの役にも立たないのはよく知っている。真に受けて、失敗したところでだれも責任なんか取りはしない。ばからしい。口が巧く、立場がいいからといって、おれの人生や価値観にまで手を出さないくれ。そいつは職務とはなんのかかわりもない。わたしは宣伝のためにSNSに登録し、電子メールを遠方のひとびとと交わし、救いのない結末を観ることもある。藝術気取りの日本映画も含めてだ。ひとに雇われるということは、こういったざれごとを捌く必要がどうしてもでてくる。なにもかも金のためだ。おれは微笑みを浮かべて、毒を浴びるしかあるまい。
 きょうは木曜日だ。ようやく詩集を発送できる。売れたのはたった3冊だ。仕方ない、なにせ3年もまえのやつの新装版だ。前回みたいに40部も売れるはずもない。それでもこの詩集には大きな意味があったし、いまも存りつづける。図書コード申請できてよかったとおれはおもっている。夏頃には個展もやる。画廊ではなく無料のアート・スペースを借りることにした。長篇小説はしばらくお預けだ。ひさしぶりにおれは絵と写真を学びたい。画集も限定で販売し、版画にも挑みたい。とにかく新しい経験が、まったく新しい関係性が必要だ。

 

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 そういえば未明、黒人街でちょっとした騒ぎがあった。どうやらジャイナ教のモスクまえで組織の三下が揉めごとをやらかし、それに怒ったトルコ系神戸人が襲撃を仕掛けて逃走、アフリカ系神戸人たちに助けを求めたところ、黒人街にはすでに組織の連中が張っていて、襲撃犯の引き渡しを要求、それを拒絶した二者のあいだで戦いが起き、双方、18人が負傷ということらしい。人間の憎悪はとどまるところを知らない。いまさらどんなものに神を見出そうとも、われわれは救われない。そんなことを訓(おし)えられる。そのいっぽう中華系神戸人はどちらにつけば利益になるか、算盤を弾いているさなかだ。低空飛行する警察車輛の群れ、おれはそいつを眺めながらセンター街まで歩き、地下のイタリア料理屋で、アボガードと生ハムのリングイネを喰い、シチリア系神戸人の女の子たちを眺めた。かの女たちは美しかったが、ナンパでもしようものならマフィア出身の父親か親戚に半殺しは免れまい。おれにできることはなにもなかった。
   おまえはなにを見てるんだ?
 料理人のひとりがカウンターから身を乗りだしてきた。しまった、見つかった。
  なにも見ちゃいないさ。しいていえば天然の美だね。
   ふざけるな、すけべやろう。
   おまえの噂は有名だ、いつだってやらしい眼つきで女を見る。
   じぶんの右手とヤッてろよ。
  生憎、おれは左利きだ。
 料理人は怒り顔で電話に左手を伸ばし、なにごとかを喚いた。いっぽんめの右手でナイフを、もうひとつの右手で電針銃を握っている。おれが逃げだそうと尻を動かした一瞬、さっきまで知らないふりを決めていた女の子のひとりが、おれの腕を掴む。
    いい加減にやめて、ルイーノ!
   なにをいってるんだ、コロンバ!
    とにかくやめるのよ、使用人!
   きみの父上にいいつけてやるぞ!
    薄汚い、男根主義者の卑怯者!
 かの女は、コロンバは、おれをそとへ連れだした。レザー製の、黒いレギンスがたまらねえ。おれたちは黙ったまま地上へあがり、連絡先を交換した。これからなにが起るのか、まったく読めない。別れ際に軽い抱擁と口づけをし、おれはしばらくかの女のうしろ姿に見惚れていた。33歳をまえにしてようやく人生がまわりだした。恋の終列車に乗って、いったいどこへむかうのか。
 現在、午前11時58分。これでお終い。おれはみずから書き、やがてみずから滅びる。あたりまえのことだ。それでも書かずにはいられない。自滅しか待つものがないとしても、もはやそれをやめることはできないだろう。失墜しつづけることの快楽と愉悦。勝ちめのないのをわかっていても、おれは書く。これから郵便局への小旅行だ。書かずにいられる人生ならもっと幸せだったのもわかる。でも、いまさら嘆いたところでなにも変わりはしない。愉しむしかない。きのう注文した下着がもう届いた。ブロス──ではなく、安いグンゼのが。それを穿いて丘を降ろう。インターネットの自称詩人たち、紙媒体の自称詩人たち、空疎な受賞歴、お偉方、他人の人生におかまを掘るやつら、おれのような男にやさしくしてくれる女性たち、おれやおれの作品に興味を示してくれている女性たち、かつて片思いを抱いた女性たち、青い木立ち、非加熱の壜ビール、サニーデイ・サービス──無意味(ナンセンス)のちからを信じたいんだ。──わかるかい?

 

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 おれは無駄口が多い。もうずっと本を読んでない。絵も描いてない。写真だって。なにもだ。こんなざれごとを書き撲ったところで、なんになるというのか。