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おれというペスト──蛮族の雄叫び

 

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   ***

 

 おとついは火曜日で可燃ごみの日、もちろんそいつも忘れ、いっぱいになった袋が玄関に転がってる。医者にいきそびれ、痛みと不安のなか、太陽は元気だ。寒さも全裸でなれば気にすることもない。わたしは老い耄れてしまうばかりだ。ようやくきのうになって詩集とフリーマガジンを発注した。前者については、出版コードこそ記載したが、バーコードについては不安があったから、いちど業者にでもまかせてみるしかない。それでもって絵葉書のこと。まずは絵のサンプルファイルをふたたびつくらなければならなかった。去年の3月、錯乱してたわたしはファイルを高架下においてきてしまった。だれかがおれを殺しに来る。──そんなふうにいかれてた。昼頃になって1軒のみ、開いてるのを見つけ、高尿血酸症──つまり痛風の薬を処方してもらった。
 術後の経過は芳しくない。それでも金のために働く。午前零時、終わって室に帰れば、もはや声もでない。金のほかに獲るものがないわけじゃない。けれどあまりにも躰がやわになってた。抜糸も忘れたまんまで、どおりで痛いわけだった。どうにか近場に外科をみつけた。開くのは午后4時である。どうにもこうにも朝がひどい。おもに左の脇腹や背中が痛む。術後の生活がわるいらしい。焦って仕事に戻ってしまったうえに、薬も満足に呑んじゃなかった。またもや自業自得ってわけだ。
 きょうは金曜日で可燃ごみの日、もちろんそいつも忘れ、回収車が去ったあと、いっぱいになった袋だけを通りへ棄てた。棄てるはずだった段ボールも木板も室にそのままだ。躰の痛みはあいかわらずひどい。朝はなにもかもだめだ。金はない。水曜日に使い果たしてしまった。なに消えたかは知らない。大きな買いものもしないまま1万2千がなくなった。またしても酔ってた。絵は描いてない、小説もだ。他人の発言の洪水にやられてる。そいつを掻き分けて、伝える意思が弱すぎるのだ。本だってひらいてない。遠い狼煙や醜聞の数多、どうだっていい過古のひとびと、同級生ども、教職員ども、親というならずもの。かれらかの女らの行為や発言の数々をいまでも懐いだす。だしたくないときにいつもだ。終わった羞恥と屈辱の多重露光と来たもんだ、くそ! おれがなにをしたってんだ!──撲られ、嗤われ、盗られ、辱められ、そして見棄てられてしまった。わたしだけではなく、多くの醜いひとびとがだ。
 できることはあるのだろうか。ひとまず考えてみよう。きょうは印刷屋から本が納入された。これもまたひどい。表紙の裁断にまちがいがある。「足し塗りアリ」の設定がよくなかったか。やってしまった。これでは売りものにはならない。いっぽうでM氏からの依頼は突貫工事で完成だ。「火星移住希望者」を募るためのポスター・アートらしい。わたしは宇宙にも空想科学にもうとかった。それでもなんか、というわけだ4千円也。もっと仕事がいる、もっと共犯者がいる。
 新しい詩の投稿サイトは、すぐに飽きてしまった。顔の見えないやりとり、そのものに嫌気が差してしまってた。ただ文字が表示されてるだけだ。なにも起らない、だれも死なない、だれも蘇らない。わたしは三つの作品を落として終わりにした。もうたくさんだ。
 投稿サイトのなにがいやかって、けっきょくは古い俗物根性を塗り替えただけでしかないからだ。中身はおなじだ。高等教育によって文學だの、藝術だのに覚醒めましたって手合いの群れ。そんでもってそこの主人「天才詩人」は、大麻とコカインと女と海外生活を謳歌してるだけで作品といえるものはない。たわごとと御為ごかしだ。確信のない、曖昧なオダをあげ、拳をふりあげてる。話しがしたいと突起人にいわれたが、やつはわたしの態度が気に入らないらしく、それはわたしもおなじだった。
 常に自身を上位に置きながら、相手を小馬鹿にしていた「天才詩人」。けっきょく対話は破談になった。《のんだくれは相手しない》? けっこう、わたしもヤク中で、海外生活の果てに自己陶酔しつづけてる人物は御免だ。たぶんわたしは踊れないやつなんだろう。ステップが踏めない。少なくともみなが好むあの音では。ただ藝術とか、wired などと着飾ったって、人生以上のものなんか書けやしない。
 そしてまたも批評だ。ネット詩の批評のなにがいやかって、それは相手がこちらの使った用語や文脈について厳格な定義を求めてくること。わたしは本職の批評家ではないし、詩は学校教育とちがって、正しい設問も正しい答えも存在しないのにけっきょく互いの優劣を云々するための徒労でしかない。人生の浪費。なにもかもがいたちごっこだ。
 このまえ、コンクリート・ポエムをめぐって悶着になった、矢田和啓という若い男は、kindieに5冊もだしてる。それも短じかいあいだにだ。若いってのはいい。来歴もふるってて《後期入試のため静岡に行ったときに東日本大震災を経験する》、そう書いてある。ほんとうに書いてある。《現在静岡大学農学部環境森林科学科森林生物科学研究室在学中》。経歴はといえば、ネットサイトでの受賞、詩誌での入撰、さらには写真作品掲載というのまであった。写真作品?──そういったものがなんの役に立つのかはわからない。わからないままでいい。わかりたくなかった。だからいまでは、ネット詩人という人種には用心してる。そうならないように気をつけてる。むつかしくはないはずだ。手を引っ込めて、扉を閉じさえすればいい。
 かれら、かの女からすれば、鼻つまみものもいいところだ。わたしはけっきょく過古への復讐をやってるだけだった──それはまえにもいったろ!──とんでもない羞しらずの見世物。きょうは喰うものもなく、とてもじゃない、書けない。詩なんかいっそやめちまえばいいのだ。それにまつわるもろもろこそ足枷みたいになっちまってる。
 そしてもはや土曜日の未明。わたしは過古の記事を手直しした。加筆し、助詞の重複を直したつもりが、まちがいをふやしただけだった。文章の面でも、倫理の面に於いても。ランボーが「幸福」で書いたみたいに《いくら喋ったってなんになろう/言葉なんて/逃げて吹っ飛ぶだけのことだ》。

 

   ***

 

 いつかだったか、酔ったわたしは電話魔になってひとりの女性と話した。おなじ齢だというのに、最后までわたしは敬語。かの女は丁寧に話を聴いてくれた。はるか南国の女ボスといったところの、落ち着きのある喋りだった。映像の仕事をしてるということのほか、なにも知らない。29歳のときにSNSで話し、誤植の多い詩集を送った。いっとき、わたしはかの女へひどい迷惑をかけたうえに、逆恨みさえしてしまった。それもまたあのひとのことでだ。まえにもいったようにわたしはひどい火傷で、気が狂ってた。自身の醜さにのたうちまわってた。
 わたしは自身の不始末について詫びを入れ、これまで「謝り方がわからなかった」といった。実際、何年も対話方法を試行錯誤しながら、けっきょくは失墜し、さまざまなところに毒を残してしまっていた。まさしくわたしはペストだった。いまだって、わるいおもいに絡められやすい。じぶんでじぶんを承認できていないのだろう。場当たりで、破滅へ突っ込むみたいなマネをやってしまう。
 臆病な少年みたいな喋りで語って電話を切った。かの女から「またね」といわれて、またしても戸惑った。決まりきった挨拶や社交辞令にさえ、考えてしまう自身が果てしなく滑稽だった。わがうちなる神を鎮めようと、チェイサーを呑んだ。
 言語行為に染まったことがわるいのか、いいのかはわからない。表現活動に夢中になったり、ひとびとの、言葉にはしない態度や考えに怒ったり、そのときそのとき、ふりまわされる。相も変わらず、伝わる、伝わらないということに過敏でいるし、臆病なほどに第一声が遅く、短い。わたしのことを欺瞞だというひとも多いだろう。そうおもわれても仕方あるまい。そいつは事実だからだ。
 現在午后4時45分。もう仕事の時間になってしまった。きょうの昼はジョン・ルーリーtwitterからブロックされた。かれの使っている画材について尋ねたのだけれど、そのあとがよくなかった。かれに《blood》と答えられたわたしはからかわれているとおもい、冗談めかしたことを書いた。するとすぐに拒絶だ。有名人にからむ小穢い東洋人、そいつがわたしだ。なんと素晴らしい世界交流!──謝罪のために別のアカウントまでつくって発言したものの、《70%は水彩、あと油彩、そしていくらかのインク》という返信が来たくらいで、赦してはくれないかも知れない。作品よりも作者のほうがずっとおぞましくて、鼻持ちがならないといった作家がいたっけ。──仰る通りです。
 そもそもSNSでいいことなんかありゃしないじゃないか。この6年、まさに災禍を招き果てたというわけだ。身のほど知らずもいいところ。もうアカウントは消してかまわない。自身を宣伝するという行為も、見ず知らずのだれかと交流するという行為にも「だからどうした? それがなんになる?」としかいいようがない。わたしに適したいちばんのやり方は、たったひとりで読んで書く、というものであって、受けを狙って蜻蛉返りをするのではない。またしても流れるのみだ。
 わたしは、新しくはないが別の認識に乗って、山麓道路をくだり、やがて職場にたどり着くというわけだ。近頃、さまざまなことを懐い、書きて来て、出てきた結論がそれだ。敵も味方もない、かつてに戻れる日は来るのだろうかとおもいながら、わたしは短距離飛行の無人バスへと乗り込んだ。空調がよく効いている。上着を脱ぐ必要もなかった。坐席には、それぞれ感知器があって、それがあるものを温め、あるものを冷やしているからだ。加納町交差点の上空はあいかわらず公僕どもがいた。密集する犯罪(アウト)組織(フィツト)の動向を諜っていはいたが、いつもいつも三文芝居みたいな佇まいで、なにも起らずに終日監視がつづいている。わたしはフラワー通りの終点、ネオ・フィネスト三ノ宮の屋上から、老いた女とともに地上へ降りて、それぞれの方角へと去った。あの老女にも、かつて片思いというものがあったのだ。わたしは通称・北の光(ノーチツヒ)(独逸語らしかった)と呼ばれる闇市場で、大勢の黒人たちと夕食を喰い、またしても見習いのバーテンへともどった。
 じゃあ、──またね。

 

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