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茹で蛙の梅肉ソース和え──blogの趣旨に代えて

告知

 

路上 /  in a road of haginocya-ya [2011] 

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 いまは自伝的長篇を考えてる。でもなかなか体験と自己を引っ剥がすのは楽じゃないぜ。短篇集と並行しながら、作業中だ。まずは独白の初稿を書き、次に場所と行為の第二稿を、3つめになにがあるか、という具合だ。

 この場所では作品の制作状況についての記録や報告、訂正、twitterなどのまとめを投稿する。

 きょうはとりあえず、「茹で蛙の梅肉ソース和え」のレシピを以下に紹介するから、みんな美味くつくってくれよな!

 

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 どうしてこんなありさまになってるんだとおもうときがある。わたしは32歳。7月で33になってしまう。織田作の死んだ齢いだ。齢を重ねるということについて、すでにうんざりしているし、けっきょく現象の増減と反復でしかないのはと考える。もちろんその反面、なにもかもよくなっているという実感も、確かにある。作品が金に変わり、ひとがわたしを正直に見えくれるようになった。これはいままでの人生ではなかったことだ。いつでも誤解と疎外と偏見が蔓り、身うごきさえとれなかったのだから。

 いまは出版局をようやく本物にできた。3年もかかってだ。フリーマガジンだってそうだ、おなじぐらいかかっている。ひとを集めるにはなによりも、ひとに好かれなければならなかった。

 わたしを囲む問題だってそうだ。それがなんなのかを識るのに時間がかかった。否、かかり過ぎてしまった。わたし自身の精神障碍に26年、薬物療法を断ち切るのに5年、愛着障碍であると理解し、安定を迎えるまでに32年がかかった。躰のことだってそうだ。7歳での台車事故によって、後年は成長するごとに腰、首、頭、胸の痛みに苦しめられ、満足に治療も受けられず、ひどい生活を送った。それが癒えるまでやはり、それなりの年月がかかった。

 いちばん厄介なのは対人関係、対話能力の問題で、わたしは言語の発達が遅く、話したいことが話せず、誤解や嘲笑の的だった。理解できない化けものだった。わたしにできるのは絵を描くこと、森林を歩くことだけだった。

 幼少時代の友人などひとりもない。親しいひとはだれない。かれらかの女らはわたしをあくまで下位の存在として許容できはしたが、わたしの知性も感情も赦さなかった。ふた親とも関係はない。姉や妹たちもいたが、いまではどこに棲んでいるかもわからない。まさしくわたしは鼻つまみものだった。父からの打擲と過干渉から、母の無関心から遁れ、物理的な居場所を手に入れるのに27年もかかった。

 

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 わたしは29のとき、赤十字病院に入院していた。6月。馴染みの急性膵炎でだ。古本で買った恋愛ものを読んでいるとき、好きだった女たちに逢いたいとおもった。3人のなまえを懐いだしたが、そのうち2人は連絡のしようがなかった。わたしは初恋であるひとになんとしてでも再会したかった。高校入学直後、駅ビルでかの女から話しかけられたことがおもいだされた。同時にかの女がわたしに暴力をふるっていた男とならんで歩いていたことも。

 ほったらかしにしていたfacebookのアカウントを更新して、手当たり次第に小学校時代の連中に承認を乞うた。かの女と共通の友人がいなければ、かの女にはリクエストを送れないからだった。けっきょく送ったものの反応はなかった。わたしはいろんな同級生にかの女のことが好きだったとうち明けた。断っておくが、わたしは過古もいまもかの女との交際や浪漫なんか想像もしたことはない。かの女にも家庭がすでにあって、なにもかもが無意味だとも知っている。それでも青年期、いつか再会して、今度こそふつうに会話をと願いながら、冥府みたいな歳月をさまよったのはつらかったし、それが叶わないまま中年に達してしまったのはむごたらしいの一語に尽きるとおもう。

 11月の終わり。わたしはかの女に託けを送った。これでだめなら死ぬしかない、そうおもった。一発め、明るく好感のある返事、ふたつめ、わたしの希死念慮を批判する厳しく冷たい返事。「命を粗末にするひとはきらいです」。まさに不意打ちだった。慌ててとりつくろい、さらにはかの女の男友だちをからめて非難した。かつてわたしを侮辱の対象にしたと。子供っぽく拗ねた。

 「好きとか嫌いとか軽蔑するかではなく、あなたの存在に困惑しています」。それで終わってしまった。つづく一年、わたしはかの女の沈黙のなかで詩集「38w」をだし、幾許かの金を手にした。けれど充たされはしなかった。わたしはかつての仇──そうはいっても子供時代である──を攻撃し、非難した。ある女を責め立てたあと、そいつの男友だちから「友だちを虐めるな」とメッセージが来た。わたしは答えた。「友だちだって? ただの記号だろ?」。自身の行為が正しかったとはまったくおもわない。けれども、わたしの見解を訊かずにいきなり「いじめるな」とはなんだろうか? 女のほうだってわたしに謝ったではないか。いじめを責めるのはいじめなのか。わたしはただ過古にされた行為に対してずっと悩まされてきたし、それを責めただけだ。執拗であったのは確かだ。けれどわたしだけがわるいのか?──こういった違和感が何度も沸き起こった。わたしはひどい沼地に嵌って、怒りと恨みを撒き散らしていた。いつもアルコールと精神薬がそこにあった。発言すること自体、わたしには怖れであったけれど、他者の反応を識る、それそのものが幻惑であったけれど、かの女からの返答がないなかでは、過古に復讐するほかにやれることはなかった。

 2014年の12月23日の夜、突然かの女からメッセージが入ってきた。「ひとを傷つけるひとはきらい!」。反応する間もなくブロックだ。わたしは狂った。まさに「はじめの火傷がいちばん堪える(チャールズ・ブコウスキー「あるアンダーグラウンド新聞の誕生と死」」。そいつに尽きる。

 だれもかもがわたしを避けた。大きなきっかけはわたしがかの女を名指しで書いたことや、タイムラインに憎悪を垂れ流しつづけたこと、そして15年の4月、みずからの傷害事件と、執行猶予判決を自己曝露したからだった。

 ほとんどのひとがわたしをブロックし、黙殺した。何度かメッセージを交わし、愉しく話せていたひとびともですらも。わかりきった話だ、わたしには気づかってくれるひともない。もしほんとうに友人がいたなら、わたしのひどい発言を戒めてくれただろうし、わたしになにが起って豹変してしまったかを、怒りの理由を聞いてくれたはずだ。でも、そんなやつはひとりだっていやしなかった。

 たしかに中学校とちがって、小学校は新興住宅地に在って、ひどいいじめはなかったのかも知れない。ブチブルやろうどもは鼻を垂らしていただけだともいえる。しかし、まちがいなくわたしのうちっかわには燻りつづけていた。ようするにかれらかの女らにとって、わたしは異物であり、捌け口でしかなかったと。

 00年4月に出会ったかの女の笑顔、わたしを名字ではなくなまえで呼んだ声、いつかは、なにもかもおもいだせなくなる。「20歳になったら校庭のタイムカプセルをみんな掘り起こそう!」だとよ。──うそっぱちもいいところだ。わたしは呼ばれなかったし、アカの教師によって作文さえも入れさせてもらえなかった。最近になってわたしのほかにも呼ばれなかったもののいることを知って、気が済んだ。一昨年の12月は呼びかけ人の実家に抗議と内容証明を送る旨を書いて送るほど、この挿話を気に病んでいたから。まあ、もはやどうだっていい。

 余談になるが、ハマザキというアカの担任はわたしがせっかくこの女から渡してもらった自己紹介のカード(卒業ちかくにみなに配っていたものだ)を取りあげ、ふざけたことを書くな、これをおまえに渡したのはだれかと詰問し、わたしからかの女のなまえを告白するように強要した男で、生きているあいだ、死んだあとでも、ぜったいこの人物を赦しはしない。

 去年の暮れ、ようやく発見した。わたしのやらかしてしまった数多の行為は、岡田尊司が「愛着障害 子ども時代を引きずる人々」のなかですべて書いているものだった。心理学者のなかではすでにパターン化された言動でしかないと知ったときの悲しさといったらない。もし発刊当初の11年にこれを読んでいたら、なにも問題は起さなかった。初恋を破壊するなどありえないことだった。

 この世界でのいちばんの秘密、それがかの女へのおもいだったのに。もうなにかも手遅れだ。生きようが、死のうがなんの意味もない。だれも児童心理なんかに興味なんかない。あるとすれば傷ついた人間と、それを診る側であって、わたしがいまさらどんな手段を採っても、だれもふりむかない。ほとんどのひとは正しい設問と正しい答えが存在すると盲信しながら生きるのであって、根本を問いたださずとも気持ちのよくなれるからだ。そんななかにあってわたしの懐疑と反省は、瘋癲のいいわけだ。これほど淋しいのに生きる必要があるのだろうか。

 

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 15年の夏だった。かの女らしいひとが、初恋のひとらしいひとが、インターネットの鼎談記事にでていた。わたしがよく閲覧していたニュース・サイトだった。手元にコピーなどないから、記憶を辿って書く。司会はたしかドワンゴのだれかで、出演は、田原総一朗西村博之堀江貴文村上隆、──そしてM村Y子。はなしをまとめれば、M村女史はじぶんを好きだという小中時代の同級生に困らされている。作品を送りつけられたり、facebookでメッセージを送られたり。かれはかの女が好きというが、自身は既婚者だ。かれは世界的な藝術家で詩や絵、音楽の才能がある。かれが「来年の4月に個展をやる」と書き込みをした途端、あらゆるところからコメントを求められ、それは職場にも来たという。なかにはかれを極端に擁護するものもあったという。かの女の旧姓はムラカミで、かれの母方の祖父ムラカミアキオの遠い親戚だという。いちばん迷惑なのはネットに実名をだされていること。田原は「それがどうして困る?」といい、西村は「そういう迷惑な行為をするひとは無視すればいい」といい、堀江はマスコミとの個人的な体験と確執を語り、村上はただただ場違いのようだった。かの女は最后に「かれはASDなんですよ、このままじゃかわいそう」と発言した。

 わたしは半信半疑ながらも、かの女へひどい迷惑をかけたことを知り、書き込みのいくらかを消した。わたしのことを擁護しながら、かの女を責める人物がいるというのにも驚いた。なぜ金にもならない落書きやろうが「世界的な藝術家」に飛躍しているのか、わからないまま海外との接触はやめ、逃げるように過ごした。

 この出来事がほんとうだったのか、いまでもわからない。アタマもイカれていたし、くそ暑いなかで、あの直後血を吐き、熱中症として入院するはめにもなってしまうぐらいだったからだ。真夏の白昼夢、まさにそんなところってやつだ。それでもしばらくすると怒りが湧いてきた。かの女が被害を訴えることではなく、登場した場所、鼎談の出演者たちだった。なぜよりによってあんな山師どもと一緒なんだ。声がでかいだけの田原、倫理不在なうえに違法行為をうまく逃げ切っただけの西村と堀江、村上隆についてはよく知らない(いえるのは「芸術家起業論」は実践の参考にはならない、くその役にも立たないということだ)。たやすくいえば、過古の、懐かしいひとびとってわけだ。わたしとしては、かの女の悩みはもっともで、なにもかもおれがわるい。けれどできればもっと品のある場で、品のあるひとびとと話して欲しかった。どこをどうしたらあんないんちき連中にかどわかされてしまうんだ?  毎年、大量生産される聞き書きのくだらない本で小銭稼ぎしてる日本の実業家なんて、わたしはとてもじゃないが信頼できない。でもわたしはかの女をまったく知らない。過古のなまえと姿だけだ。

 わたしは今年の正月、小中時代の知人に会いにいった。かれとは2回一緒だった。わたしの漫画のはじめての読者だ。そんなかれでもけっきょくは「なぜあまり遊んだこともないおれのところに来るんだ?」という。悪意がないのはわかってる。でも、わたしは駅に送ってもらったとき、「じゃあな」としかいわなかった。かれの「またな」に返事はできなかった。

 それでもかれからは詩や絵について助言をもらったし、それはよかった。ただ「だれかにむけて詩を書く」なんてのはできない。「読み手にむけて」としか、わたしにはいえない。

 

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 夜間高校に入学してまもなく、昼間の女生徒に声をかけられた。中学でいっしょだったTという女で、わたしをしつこくからかっていて不愉快だった。あの笑顔、あの声。もしかしたらM村Y子さんのだっておなじかも知れない。珍獣を発見した昂奮であり、嬌声だ。しょせんおれは気持ちのわるいやつでしかない。

 これについてメアリー・シェリーの「フランケンシュタイン」を連想する。なまえもない怪物の話を聴き、心を傾けてくれたのは、たったひとりの盲人であったのを懐いだす。おなじように顔も知らないひとびとが、わたしの作品や発言を読んで、少なからず支持してくれるようになって来た。特にスロヴェニアの日本人女性からは、画材や金を送ってれる。

 わたしのような人種は、表現なしでは生きられないだろう。もしわたしが「喪失」と「憧憬」というふたつのものから脱却できたのなら、かの女との再会が叶い、ふつうの会話ができるのなら、わたしにも家族できれば、もはや言語行為は必要はないかも知れない。絵だけを描いているかも知れない。

 けれどそんなものは虚妄だ。ほとんどのひとは「再評価」などというものはしない。うちなるハイエナを手懐けるよりも、屍肉を与えるほうをみなは撰ぶのだ。わたしがどんなに普遍性を求め、反省し、立ち直ろうと足掻き、職業訓練や仕事に就いても、作品を売っても、かれらかの女らは絶対に認めたりはしない。水平的人間、政治的人間、あるいは演技する人間たちは、それを無意識に恥辱と見做すからだ。

 かの女からは多くの作品を与えてもらった。正月に送った最后の葉書では《あなたから着想を得た作品はすべて破棄します》などと書いたが、どうせ当人は読んでなさそうだし、わたしは作品を売らなければならない。あたりまえながら。

 新曲「Omaenanka, Omaenanka!」も、もちろんのこと、いま書いている短篇「灰は灰へと還す」も「囚われもの──(This Not a)Loveletter」も、わたしのなかのかの女が登場している。だが、それでどうなるというのか。どうもなりはしない。さらにきらわれ、蔑まれるだけだ。

 もはやわたしにはかつてのように無差別に他者へ咬みつくことはない。毒のほとんどを棄ててしまった。いまもかの女が好きなのかと問われると正直わからない。ごくごくたまに夢のなかでかの女のことを見るくらいだ。かつてのような感情が死んでしまったにしろ、会って話がしたいのはたしかだった。ただし会ってしまえばもうかの女をモチーフに作品をつれなくなってしまうのも確かだった。

 もう日曜日、競馬だ。バーテンの給与もでたし、いい馬に当たっていい女性と巡り逢いたい。少なくとも、情熱のあるひとにだ。でも、そのまえに5ヶ月まえの体重に戻すこった。

 

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 こんな感じだ。まだ書きたいこともあるが、またいずれ。これを読んだあなたは立派に「茹で蛙の梅肉ソース和え」がつくれる、素敵なひとになれることだろう。わたしを支援したいというのなら、いつでも歓迎だ。是非連絡を乞う。

 そして今夜未明はメールマガジンをだすつもりだ。登録フォームtwitterに載せてあるから、決してナフタリンの壜をあけないこと! 約束だよ!

 

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つづくのか?