みずから書き、みずから滅ぶってこと。

中田満帆 / a missing person's press による活動報告

天使の渾名

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   *


 神に似し虹鱒捌くはらわたに出産以前のかがやきばかり


 生田川上流に秋を読みただ雨を聴く水に宿れる永久ということ


 校庭の白樫の木老いたれてもはやだれもぼくを呼ばない


 それでもまだ青年の日を悔やんでる、眼つむれば無人回転木馬


 北にむかって濁れる河よ身投げする放浪詩人というまぼろし


 妹への祝婚歌なしかたわれは避雷針がたったひとりか


 おれの死後野火に焚べたれあまたなる化身すべて宿るものみな


 名を持たぬコンクリートの塊が悲しむような岸壁の時化


 雪降れる養老院よなまえすら忘るる犬はくらがりに集う


 たらればとたりしのはざまきみのまえに立っているぼくのさまよい


   *


 屠られるけものの匂い週末のステーキハウスの光りまぶしく


 浴槽に水のない日よ遠ざかる母の亡霊しばらくおもう


 夜の寡婦かぜにまぎれてぬばたまのもっとも昏いところで咳く


 恋うるひと喪ばやいっぽんの地平の棟になまえ隠さん


 愛を知らず愛の映画を観しわれを皇帝と呼ぶ広場の主


 冬の菜をきみに贈りたし経験と呼べるものなきわが愛のため


 陸をゆく小さき機影まっしろな血と呼びたきわがアルコール


 失童のあとさきサヤという女ともにぼくは笑った羞ぢらいながら


 ひとをみな滅ぼす夢も愛ゆえにからたちの木に身をば委ねる


 急行の人生をみな生きながらブレーキパッドを知らないでいる


   *


 朽ちるままかつてのひとの憩いすら荒れ野のなかのいっぽんの梁


 裏階段展びてゆけゆけ入れ目なる緑の犬のまなこのなかに


 父死せる夢を見むときカナリアの死せし一羽を窓に飾れり


 やまびこの不在零狼かけぬけて登山家一同みな喉喰わるる   

 
 係船のなかにかのひとおもいつつ海はまっすぐ夜を流れる


 銀河にてさまよう塵を日の本と呼びみかどらの車スピードをあぐる


 裏庭に義兄の彫りし姪の名も甥のなまえも出生以前の淡いまぼろし


 ぼくの机上をゆく猫や三十一音の釘となり舟となれる夜よ夜よ


 まぼろしの犀を飼いつつ水桶にぼくがゆられるぼくのおもざしよ


 かくれんぼする狂人や愛も笑いもない夜の出来事


   *
 

 撃ち落とす冬の太陽恋うるものみなおれを拒んで   
  

 喰われたる虹鱒ひとつ漁火を両の眼に焼きつけたりぬ


 燐寸擦る無人の荒れ野照らされてぼくがひとりだという論証


 父の死后よ柩のなかに入れられて花という花も狂熱せん


 暮れる丘──雪のなかにて少女らの熾火に溶ける二月の夜よ


 八年の歳月ありぬ妹の消息などをぼくは知らない


 いっぽんの箒を走る陽光に暴かれつつあるぼくの出生 


 乱歩読む幼きぼくのきさらぎに仮面をかぶった男現れり


 無人なる回転木馬暮れるときひとのかたちでまわりつづける


 眠れない夜は毛布をかぶりゐて天文学をひとり著す


 夜行にて詩学走れり不眠症の男のあたまむすんでひらいて 


   *

 
 愛ゆえに黙せり冬の階しをふたりっきりの未成年たち


 映画とは天使の渾名飛びながら落ちゆくものに魅せられたる昼


 釘を打つひと見ばや早春の柩にぼくは入りたいのです


 政治とはいつわりの輪に過ぎぬといい古道のカーヴいくとも転ぶ


 枯れる蘂ついに花粉はあらわれず中年の身を焼くような冬の陽よ


 牡蠣の身にすかりつくような愛をもってわれわれは檸檬の化身となりぬ


 虚構にて森番たりしわが手斧みずからをまたうつし世へ還さん


 書物という紙の柩やいっぽんの釘もて撃てり冬のサーカス


 屠られる牛こそ詩情喰うことと殺すこととは一体として   


 墓地過ぐるひととき雪の光りにて子供の墓碑の光りおりたし

 

   *

 

 

われのリリオム

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   *


 リリオム ならず者のところへもくるか? もし愛したら──(モルナール「リリオム」)


   *

 

 天籟を授かりしかなゆかこという少女愛しし十二のぼくは


 裏庭を濡らす霧雨にすらかのひとのかげを重ねたりにけり


 初恋に死すことならず三叉路の真んなかにただネオンあり 


 ショーマンになりそこねたりひとの世に泣く淋しさよ舞台を仰ぐ


 さしすせそ──さ行ばかりが胸を過ぐさよならというおもいのなかに


 終わりゆく枷や軛を愛おしむ幾千人の正しきひとびと


 冬の日に蜆を買ってひとりのみ時計じかけの月を見上ぐる


 霧笛鳴る神戸の港不眠症長距離走者ひとり過ぎ去る


 諦観の水の流るる河床のみずからのかげ消えぬままゐる


 神のなき地上はるかに光りつつ無人のままのハンバーガー屋


   *


 夫婦たるべく日の果てに一匹の犬を求めてやまんか


 息子の眼──魚群のなかに放たれてさまよう水族園の午
 

 午睡せし息子の顔をしらじらと照らす冬日や間伐の音


 ひざまずき息子の服を直すとき母という語を嬉しくおもう


 通行止めのむこうにわずか鬼火あり夫ともにしばらく見つむ
 

 冬の蠅いきつくところなきままに土のうえに閉じる生涯


 この土地に嫁いで以来夢に見る三階の窓を走る馬たち


 わが子らのやすらぎありて懐かしむふるさとちかき田園はなし


 枕木を数えて歩む帰り道充ちたりたれるわたしの列車


 鳥を喰う猫ありそんなことなんかいつか忘れてしまいたりけり


 夜の桃──かつては少女だったみな月の光りに照らされており


   *


 莨火をふかす月夜に神という神に下れる人涜の罰


 法医学教授するひと人体のなかに眠れる口唇期かな 


 懐妊の響きを以っていつくしむわが子のなまえいまだなきまま


 わが敵となりし男や夜はまた夫ともに愛語を交わす


 ソーダ水呑みつつ職を熟しては水平線を見たくなりたり


 冬暁の朝の光りの暖かくやがて忘れんかれはわたしを


 わたしというなまえ忘れぬ膝かしら少しばかりの血に滲みたり


 望郷のおもいもならずこの土地の鯖のあたまはいつまで青し


 土塊に過ぎぬわれらと唱えたる基督信徒の外套の艶


 黒人の歌の調べよ子供という未知なるものの歌は流れぬ


 わが神やも知れぬ子鼠を夫に託し幾千万の星をば眺めん


   *

 

リリオム (中公文庫 C 17)

リリオム (中公文庫 C 17)

 

 

 

 

愛が、愛がわれわれをひきはなす(今月の歌篇)

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   *


 とっぷりと暮れるときには会えていたころよものみな遠ざかるなか


 あれがただ青麦みたいに見えるからふりかざされるまえに答える 


 沈黙に守られながらいたいといいてももろびとのやかまし


 光り降る二月の夜だってことを抱きながらふるえるわれよ


 若かりしぼくの標本をアルコールから救いだしてよ


 だってまたぼくがわるいといいながらきみのことすらぼくはおろがむ


 青くさいいじっぱりだとみずからをかばってやれず唇を咬む


 さまざまの過古のはざまに存るという出生拒む黒いみどりご


 眠らない木々のようにはいられないダンス、ダンス、ラジオに合わせ


 おもかげにさかりたるままあればいい・夜のサインにおののくわれら


   *
 

 なにか叫びたるような声がして一匹の蟻を浮かべたにんぎょうの町


 ほころびにまみれた産着落ちてるとかわいいひとがまたも過ぎ去る


 喪いしものみなとるにたりはせぬとはくさいの虫など殺すひととき
 

 愛などといものはそもなくて愛という語のためのつきまとい


 解釈すればはなはだはらだたしいないがしろにされたものたちのひとりとして


 あ、みんなは去っていくんだ・ぼくがきらいだから・花の色も知らずに 


 愛などにあこがれたまま頓死するのがせいぜいだろうと青葱を切る

 
 事実としてなんの根拠になろう? いずれも夢の終わりには


 だれも手にどどかないのなら なにも欲しくない 戸の開閉がかぎりなくつづく
 

 蛆光るときの恍かがいつまでもぼくのうしろに横たわるから気をつけろ!

 


   *


 きみにとりなにを意味するものがあろう情けのつゆもないまなざしで


 展示さるる奉教人の木乃伊よりいまとりださん不信心など


 だからなんだ、桃のような月のかげに口腔の血がうずくまま


 とどまりつづけるわけにいかない・灯りがもう点っている


 だんだんとスピードを増し9階の階段裏で消える潮騒


 うたぐってる、まだあかときの訪れもなき路上になって


 コーナーにのぞみ絶たたれて斃れたる拳闘士のはるかなかげえ

 
 暗殺の夜々ひとり待っているおまえが来るという手なぐさみ


 どうかまたあのうそを吐いてくださいと告げるきみに取り憑かれ


 こういうわけでいつまで古靴の紐をもてあましています


   *


 もう起きあがることもできません・えいえんを着た馬が視ている


 折り合えることも知らずにてんてんとちがった土を歩くのみかな


 星にさえ追い放たれて観望の子供のひとりおれを笑った


 なにもかも交換できてしまうからせめてあなたをうたぐっていたい


 おたがいに背中をむけて坐るときどうして花は冷たいのだろう


 波打ってくずれるひとよ鶏肉のような色して死んでしまえよ


 でもおれはかまわない裁きすらもいつか夢見た観覧車みたい


 時を壁にぬりこめてなおひきがえる時計、あるいは時計


 変わらなくては、変わらなくてはとときにおもうもながい誘導遠心


 かのひとの苦膚の棘みたく存りたいと願うも夢は終わり


   *


 おもいでに遠く切りはなされて呼ぶだれのなまえも忘れてるのに
 

 髁ひらうひともなきゆえふゆぞらがいっぱいとなる野ざらしのぼく


 教えられる、すべてはうつろだとチューイン・ガムのなかの町角


 ふたたびを生きねばならぬ死なねばならぬ茎はるか翳むところまで


 くりかえし巻きもどされてしまっても投影されるづける頬の血


 あなたという器のなかに顔うずむ、あなたというひとを赦せよ


 しめさばのすっぱい真冬くりかえす正午に於けるぼくの対処は  


 おろかだったばかだったはずかしいいまもいじましいいまもいまも


 かたわらでだれかは踊る、それだけがぼくが望んだいちばんさいご


 ひとしれず放下の果てを死ぬべきとして黄色くなったセロリの葉っぱ


   *

 


Joy Division - Love Will Tear Us Apart [OFFICIAL MUSIC VIDEO]

たぶん永久に

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 濡れた、
 さいごの花束も、
 ふりあげられた拳も、
 ぜんぶがぜんぶ、
 水によって引きずりだされてしまい、
 いまやそれがなんであったかを識るのはむつかしい
 海のむこうがわで大きく彎曲した虹鱒がクリークにむかって艪を漕ぐ
 それでも壊れた、
 はじめてのほほえみも、
 噴きあげられた潮も、
 もはや見えない
 それでも
 ぼくは
 快楽を欲しがる
 それでも
 きみは
 とっておきの話をしたがる
 ただ竈火にあたってふたりきりで坐っていればよかったのに
 夜に充たされた室はもはやにんげんのものではなく
 灯りはもはやだれも照らしてない
 くぐもりのなかで叫ぶ、
 いくつものサイレンが懐かしいくらいに
 にんげんは遠くへ辿りついてしまった
 もう帰れない
 濡れた、
 あとには、
 もどることもできない
 羞ずかしい、
 ってきみがいう
 ぼくはもう濡れてしまったから
 どうすることもできない
 いえないままでいるきみへの返事も
 必要なことばも忘れてしまおうと
 してる
 それもこれも
 壊れた信号の歌だ
 どうにもできなくなったこの場所で
 ふりあげられた花束みたいに
 ぼくらは立っている
 たぶん永久に

 

定時制時代の卒業文集より

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「告げる」平成15年生活体験文集「水脈」より/3年 中田満帆

 

 エフトゥシェンコは「早すぎる自叙伝」のなかで、「詩人の自叙伝、それは彼の詩作品を言う。残りは註釈に過ぎない」と書いた、──らしい。”じぶんは詩人”と名乗るつもりはまったくないが、それに倣ってここでは註釈をなるべく避け、自分の下手な詩を挙げることで高校生活をふり返ろうとおもう。──そのまえにまずは中学生活まで遡る。
 15歳、中学3生。そのころ、ぼくは極度の昼夜逆転と極度のめんどくさがりで学校にはまったくいってなかった。学力は学力は元来よりわるく、朝は寝ているか、学校へいくふりをして山中をうろつきまわって時間を潰していた。


  ○青空を花粉に赤い眼で見つむ寝転びわれは遠くおもう
  ○なんべんもたどり着けない考えに耽りて枯れ葉の音なんべんも聴く


 有馬高校への進学を決めたのは担任の勧めであった。自己決定でなく、ただただ惰性のままに肯いただけだった。16歳、最初の1年。集団生活はまるで威圧的におもえた。ほとんど緊張して過ごしていた。


  ○自責することの甘美を知りながらわれを責めつつ風のなかゆく
  ○たったいま未来が裂けて線路ゆくものらは悱々として世界を絶たん


 17歳、学校へ来て2年め。人数も減ったせいか、次第にじぶんの欠点が隠すこともできなくなっていた。孤立感のっなか、特に体育と数学ではみな失笑を買っていた。そして学校がいやになり、欠席は増え、憂鬱を紛らわすために酒を呑み、莨を喫みはじめた。けっきょくぼくは劣等感に勝てず、留年することになった。


  ○雨降れるひとひは室のくらがりにガラスのコップのみが美し
  ○先人たる赤の他人の一行に道標となる辞を探す


 18歳、落第して1年目。改めてじぶんの欠点に悩み、人並みになろうとするもけっきょっくうやむやになる。この年、はじめて長期のアルバイトに勤めた。


  ○「わが国」と呼んでしまえぬ空しさを継いでいくのか物質的幸福を抱き
  ○月光を遮りながら過ぐバスは猫の四肢にも気づかぬほどに酔うてゐる


 19歳、この年になってぼくは詩歌をはじめた。ほぼ同時に対外的な活動(朗読会や詩誌)への活動を始めた。今年の6月にも「地団駄ライブ! 朗読ビート!」を行う予定だ。


  ○成人になれば耳鼻科通院終えて遂に走らん死者のレースを
  ○肥桶を置き去り向かう無人駅われは自由をジャズに観て


 けっきょくぼくは大検すらも投げだして詩歌に入った。それまで右往左往していたが、やっとじぶんが真に打ち込めるものを見つけた。当然、今年卒業はできず、世間からすればみっともないだろう、5年めを過ごす。でもぼくは後悔しない。いまはとても安定している。じぶんなりにやっていくしかない、じぶんなりにやっていくつもりだ。


  ○別れにも涙流れぬ悲しさをわれは尿して路上に託す

  ○することもやることもすべてこの住所を棄て走りだすため


 最期にぼくの好きな歌を一首紹介します。


  一粒の向日葵の種蒔きしのみに荒野をわれの処女地と呼びき──寺山修

 

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「雑記」平成16年度生活体験文集「水脈」/4年 中田満帆


(冬 さむいのが、戸外いっぱいに広がって、出れば、頭のてっぺんから、爪先までもが、傷む冬である。こんな季節は、寝転がってなにもしないのがいいのだが、生憎ストーヴも、すきまの多いわが自部屋にはまるで効かない。──その寒い室で、このくだらない文を書いている)。

 ぽくにとってうそを吐くことは、ものを云うことと同義である。口をひらけば、ひとをごまかすための、じぶんをよくみせるためのうそが、すらすらと流れだすのだ。うそが暴かれれば、そのうえにあたらしいうそを吐く。なぜか反省しようとか、懺悔しようとかという気はさらさらにない。むしろ、このまま「三つ子の魂百まで」と諺を開き直りに生きていこうと、死んでいこうとさえおもうのだ。

 去る年、「高校生フォーラム」という、幼稚と云ってまずまちがいないだろう、集まりのまえで云ったことも、すべてうそである。まず自身の保身と建前を考え、述べ立てたまでだ。たとえば「大学へ」と云ったのも、けっきょくは学歴への劣等感から来た杜撰な上昇志向と、猶予期間のおねだりでしかなかったのだ。
 
 ぼくはこれからも落ちつづけて生きる。それがじぶんにとって相応しいだろう。ルンペンにでも、人間以下にでも、○○にでも、××にでも堕落しつづけるだろう。この際落ちるところまで落ちてやろうとおもうのだ。もちろん、これだってうそだ。


いくらしゃべったって、なにをわからせることができよう?
言葉なんて、逃げて、ふっ飛ぶだけのことだ。

アルチュール・ランボー「幸福」(金子光晴訳)