みずから書き、みずから滅ぶってこと。

中田満帆 / a missing person's press による活動報告

おれにだって死にたいときはあったし、うつろなときもある

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 頭に充電器をぶちこみたい気分だ。長篇小説はほとんど泥沼、入稿した端からまちがいが見つかる。けっきょく1万5千の損だ。それだけあれば椅子だって買えたというのに。きょうになってようやく最終稿。予算さえ赦せばもっと余裕のある文章をかけただろう。頁300くらいで。手頃な印刷所を探さねばならない。来月までの4日間、どう過すかだ。キングブラザーズの旧作を注文した。なんとか精神的な豊かさが欲しい。読書は、ジェムズ・サリス「コオロギの眼」を再読したところだ。あとスタージョン「輝く断片」、ボルヘス「詩という仕事」、バロウズ裸のランチ」、「雨月物語」を読んでる。いつも通り、選択肢が多すぎる。あるいは少なすぎる。おれに課せられたことの半分もできちゃない。課したのはだれか?──おれ自身だ。来月には小説と詩集をあたらしいところでテスト印刷したい。「製本直送」は便利だが、やはり高すぎる。1冊ごとの単価をどう抑えるか、それにかかってる。あるいは小ロットで刷れるところにかかってる。短篇集のほうは止まってる。ふるい作品を記憶を頼りに復元しただけだ。いままでとはちがった作風のものが書きたい。そのために本を読む。
 短歌のほうは、とにかく結果でないと話にならない。「研究」にしろ、「角川」にしろ、実を結ばなくてはならない。いまのおれができるいちばんの表現は短歌だ。あとのものは理解されるまでに半世紀はかかってしまうだろう。詩にしろ、小説にしろ。このまえ「手師の惜別」という題で、40首つくった。最近のように賞に合わせてではなく、ひと月に1篇は最低でもつくることにしょう。腕が鈍ってしまうから。森忠明は《寺山修司の影響が消え、中田満帆の歌になって来た》という。たしかに最近はずっと寺山短歌に触れてない。もっとべつの、短歌以外のものからの影響が多いのだろう。

 このblogもtwitterも、そのほかのSNSもみな、いまのおれにとっては食傷気味だ。おれのようなペストに近寄って来る人物がいるとして、かれらかの女らになにかを求めてもしかたないのかも知れない。ネット復旧のために負債を返し、──あと1万4千──溜まった電話料金もなんとかしなきゃならない。12万。むずかしいところだ。書評や映画評を書くなり、もっと生産的なものを書けばいいものを、その力がいまは湧いて来ない。細かい調べものもできないうえに沙汰止みごとで足許がいっぱいだ。他人のウケを狙ってもしょうがないが、永遠のマイナーとしてやっていくほかはないのか。情熱と方針を見失い、さまよってるばかり。人脈も実績もない以上、どうすることもできないのか。
 去る年、おれは自裁に失敗した。ヘリウムで死のうとしたが、ガスがあまりにも苦しく、かぶってる袋をやぶってしまった。30すぎると1年なんてすぐだ。気を取り直して生きることにしてる。まあ、なんとかなるさ。

愛についてのみじかく、そして淡いなにか

 

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 夜は若かった。かれらはそうでもなかった。車を走らせながら女たちを見た。酒壜をかたむけ、声をあげる。やがてひとりの女を口説いて連れ込んだ。かの女はなにもいわなかった。そのとき、ガラスのわれる音がした。なにかを毀したらしい。でも、その3人は気づかなかった。薄汚いアパートで1発やっちまおうとあがった。いっぽう隣の室では、メキシコ人の母子があたまを抱えてた。仕事がなくなり、就労ビザは切れ、でも娘は日本語しか喋れない。噫。──眞下は女を椅子に坐らせ、米村はベッドに腰かけた。木山は酒をつくり、テーブルにならべた。
 「この娘は静かにやりたいらしいな?」──米村がいう。かの女はなにもいわずに3人を見てる。眼はうつろだ。らりってるのかも知れない。眞下は酒にくちをつけた。アードベックだ。なかなかいい。木山はスケッチブックをひろげ、かの女をデッサンした。でも、みんな酔い過ぎてて見れたものではなかった。
   とにかくおれがいちばんだ──米村がいう。──おまえは女に手荒なんだよ。──眞下がいった。──だからいつも逃げられるんだ。──おれに文句があるのか、このやろう!
 眞下はかぶりをふった。好きにすればいい。おれは次の番を待つさ、そいつがあるのならな。──やがて米村が女を抱き寄せ、ベッドに運んだ。──さあ、かわいこちゃん、おれのコックを味わいな。きみのような美人にはその値打ちがあるんだぜ!──やつがかの女の長い足を膣にむかって嘗める。そしてスカートの襞にたどり着き、そいつをおもいっきり、たくし上げた。今度は上半身を愛撫し、それから顔を撫で、口づけをした。はあはあと喘ぎ、ズボンを下ろす。いちもつを入れようとしたときだった。
 「おい、大変だ!──来てくれ」──ふたりが来る。「この女、おまんこがないんだ!」──なんだって?──工具箱を持って来い!──木山は呆然としてる。眞下が小突いていった、──米村医師の緊急手術の時間が来たぜ!──木山は工具箱をもって寝室にいった。米村は女のあそこに穴を拵えた。これでできるようになったぜ、かわいこちゃん!──やつはさっそく女にぶちこんだ。悲鳴が聞えた。2人が寝室に入ったとき、床には血が飛び散り、女の首は折れていた。──なんてことをしたんだよ、おれたちの女神に!──木山が泣きそうな顔でわめいた。米村は拳でいっぱつやつを撲った。
 「うー、なんてことだよ。おれのあそこがずたずただ」──医者にいくか?──いけるわけないだろう、この女をまず片づけなけりゃ。──眞下は救急箱をやつに渡した。ともかく女を始末しなけりゃいけない。3人は女を蒲団で包み、車のトランクに押し込んだ。そして運転はいちばん酔いのましな眞下がすることになった。山道をいく。いまはキャンプの時期でもなく、車もひともなかった。もうじき渓谷だ。大きな河もある。そこから流せば大丈夫か。米村は眞下の隣で、大きなからだをふるわせてる。ふるえるたびに酒を呷った。そして眞下に一撃を喰らわせた。理由?──そんなものはない。車は脱輪し、うごけなくなった。
  ちくしょう、どうしてくれるんだ!
   おれにもわからねえよ、くそったれ!
  JAFでも呼ぶか、それとも死体担いで歩くか?
 そんなときだった。1台の車がゆっくり走ってきた。やがてかれらを見つけると停まった。降りてきたのは若い男だった。どうかしましたか?──いいえ、脱輪しただけです。──それは大変ですね。手伝いましょうか?──なにを手伝おうっていうんだ?──脱輪ですよ、道具もあります。──男は車から道具を降ろし、落ちたタイヤにかました。そして車体を2人で押し、もどした。眞下がいった、ありがとうございます。──こっから早く立ち去るべきだ。顔を見られてしまった。──男がいう。
   あなたたちはどちらへ行かれるんですか?
  渓谷を眺めに。
   こんな夜にですか?
  ええ、キャンプがてらにね。
   奇遇ですね、ぼくもキャンプなんです。
   ご一緒しませんか?
  んー、それは大変ありがたいのですが、テントを忘れたみたいでね。きょうはすぐに帰りますよ。
   それなら大丈夫です、ぼくのほうも友人たちが来れなくなってテントも余裕があります。
 男はどうしてほっておいてくれないんだ。──眞下はしかたなくうなずき、かれの車についていった。林道から砂利道を下り、駐車場に入る。やつが眠ってるあいだに逃げよう。そうおもって車を降りる。かれの車からテントやバーベーキュー用具を降ろし、河のほうまで運んだ。かれはテントを組み立て、寝袋をならべ、料理の支度をした。手早かった。火を眺めながら3人は語り合った。いまの仕事について、結婚について、趣味について。酒は、ジョニー・ウォーカーの緑だ。
 「ぼくは警官なんです」──男がいった。3人とも飛び上がりそうになった。「少しまえに辞めましたが」──なにかあったのか?──米村が聞く。フライパンのソーセージとベーコンを転がしながら。
 「ぼくにはつきあってる女の子がいました」──でもかの女は未成年で。それが親から通報で明らかになってしまいました。かの女との恋愛にはやましいものはなく、とてもうつくしいものでした。けれども発覚した途端、かの女は冷たくなってはなれていき、同僚たちも淫行野郎となじって、もうどうしようもありませんでした。上司たちは辞職するようにいいました。ひどい仕打ちです。ぼくは辞めました。警備会社に天下りするという話もありました、でも断りました。きょうのキャンプは何ヶ月もまえに考えていたことなのに、あの娘とのことで友だちもみんな離れてしまったんです。
 米村はベーコンを齧りながらいった。──女なんてみんなおなじだ。くだらない穴のために身を落とす必要なんかない。あんたは裏切られたんだ。でもそれが女の性質ってもんだ。おれにはただただ未成年とやれていっとき幸せだったってくらいにしか、聞えないね。──なんてひどいことを!
 男はうつむいて涙を少し流した。──ぼくのことをわかってくれるひとが欲しかったんです。かの女は期待に応えてくれたし、一緒にいるときは最高でした。非番の日にはデートにいき、よく映画を観たものです。かの女も映画が好きだった。でももはや会うことはできないし、かの女のほうもぼくのことを面倒にしかおもっていないみたいです。これからどうすればいいのか、わからないまま、日を過してます。いつか笑えるようになるまでずいぶんとかかってしまうでしょう。
 眞下はため息をついた。こんなやつと一緒ではいつまでもかかってしまう。そのうちに腐敗臭がするだろうし、だれかが通報するかもしれない。眼のまえにいる元警官はただのまぬけだからいいとして、いったいどうすればいいのか?──そのとき、木山が声をかけて来た。あたりに聞えないように耳打ちする。
 「あの女ってもしかして人間じゃないのかも」──なんだって?──おれたち酔ってたろ?──ああ──ショーウィンドウをわってマネキンをつれだして来たような気がするんだ、たしかじゃないけど。──眞下は立ち上がって車にもどった、そしてトランクをあける。たしかにそこにあったのはマネキンだった。一気に緊張が緩み、笑みさえ溢れる。キャンプにもどってスコッチをがぶりとやった。──おれたちは安泰だ!
 元警官は感情の高ぶりに声をあげていた。救いようもない。そのとき駐車場のほうから人影が現れた。しだいにちかづく。その首にはあたまがない。──あんたたち、よくもやってくれたわね!──このミソジニスト!──かの女は首を元通りに復元した。そして男に近づく。──あなたはほんとうの愛が欲しいのね?──ああ、そうだ。──わたしが人間になってあなたのもとにいくわ。──マネキンはゆっくり人間の女に変わっていった。肌は艶めかしく、瞳はあざやかに。冬のあたらしいスタイル、絶賛発売中!──そして男の手をとって唇を重ねた。3人は眺めているしかない。ふたりはテントのなかに入ってコトをはじめた。もうどうにもとまらない。かれらは互いをみやった、粗野な男たちが立っているだけだ。「おれたちもほんとうの愛を探そう」──かれらは車に乗って、町をめざした。盛り場を、あるいは美しい留置場を。

 

   *

 

 数ヶ月後、元警官のかれは悩んでいた。妻のふるまいに。──あんた、いつになったらまともな仕事を見つけるの?──あたしだってまえのようにマネキンじゃないのよ、まったくこんな安物の化粧品を買わせて、見てみなさいよ、肌がくすんでるんじゃないの!──さっさと職安にいってよ、このグズのロリコン!──かれは最近競馬を憶えだした。競馬場に入ったり、場外馬券場にいったり、あるいはA-PATを使ったり、金がなくなっていく。やっぱり警備会社へ天下りすべきだった。そうおもいながらかれはむなしくなり、書いているおれもむなしくなって来たところだ。じゃあな。

れもんの若い木々にかこまれ(短篇小説)

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 初秋だった。北部の田舎からでて、金が尽きてしまい、更生センターで寝てた。「ブルックリン最終出口」を読みながら。そこでは夕方の5時から朝の8時まで泊めてくれる。駅のすぐそばにあって、建物は小さいけど、心地よい清潔さがあった。労務者たちかあるいはルンペンたちが、それぞれのスタイルをもって、畳ベッドに休んでる。まだ午后七時、消灯まで時間があまってる。ぼくが便所に立って、戻ってくると、大柄な若い男が、ぼくのまえのベッドで力なく、うつろな眼差しで天井をみてた。ぼくは気にしないふりを決めて本をひらいた。
   きみは本を読むんだね? 
  ええ、そうですよ。
   ちょっと話を聴いてくれないか?
 身の上話だろうとおもった。まあ、それだってわるかない。いずれ小説のねたになるかも知れない。ぼくは坐ってかれに顔をむけた。かれは話しはじめ、それはこんなものだったとおもう。

 

   *

 

 おれはこのあいだまで港で働いてたんだ。港湾労働ってやつで、荷降ろしや荷積み、品ものの仕分けもやってたんだ。もちろんフォークにも乗ってな。それがきのう馘になっちまった。きっかけは黒人の船員だった。やろうと知り合っておれはすぐに打ち解けた。ジャズの話しをしたんだ。ドルフィーとか、モンクとか、オルドロンなんかについて下手くそな英語で語りあったんだ。ちょうど休憩時間で一緒にメシを喰ってた。そんときだった、やつはおれに見せたいものがあるんだってツった。それでおれは仕事が終わったあとにやろうについてったんだよ。やろうは倉庫の裏手の、だれも来ないようなところからシートにかぶさったなにかを運んできた。
  なんだよ、それは?
   タイムマシンだ。
 もちろん、そんな与太を信じるほどに螺子はゆるんじゃいない。ただやろうはいったんだ、こいつを験してレポートを書けば、600万はかたいってな。
  あんたがやればいいじゃないか?
   ああ、でも残念がらおれは健康診断で落ちたんだ。
   だから、日本人のおまえに頼むんだよ。
 おれはやろうの眼を見た。やろうはシートをはぐってモノを露わにした。そこにあったのはアイス・クリーム売りの屋台車だ。──こいつはいかれてるか、ふるってる。あるいはふるってて、いかれてるにちがいない。
   金は山分けだ。
  わかったよ。
 やろうは解説書を渡すと、「あとは頼んだ」といって呑み屋街のほうへ消えてった。いったい、何者なんだ? おれは屋台車を調べた。後部にタラップとレバーがあった。そしてブレーキも。おれはタラップに両の足を乘せ、レバーを引いた。かくして屋台は走りだし、ひとびとの注目を浴びながら帰ったというわけ。つまり、そのころはまだ棲むところがあったんだってなわけだ。屋台のどこに次元転移送置があるのか探した。そいつは冷蔵庫のなかにあった。おまけに時限ダイヤルもある。ただしその発動には燃料がいる。おれは酒と売女をそろえて、次の日にでも買いにいくことにした。
 すさまじい夜だった。たぶん金が入ったら、もっとすさまじくなるだろう。かの女の通り名は《蠍》だった。おれは仕事をさぼって市場へと繰り出した。肉屋の店員がおれに近寄ってきやがる。
   いらしゃいませ。
  燃料が欲しいんだ。
   うちは肉屋です。
   スタンドなら表通りにあります。
   3年まえに潰れましたが、バイトの女の子はけっこうかわいかったですよ。
  いや、そうじゃない。鶏肉が欲しいんだ。
   なんてひどいことを。
  あんた、売る気あんの?
   もちろんいい挽肉がありますよ。赤身で。
  あいにく挽肉じゃあだめなんだ。
   きょうは挽肉むきの1日だとおもうけどねぇ。曇りだし、雨も降りそうだ。わたしなら挽肉にしますよ。
  いや、だめだ。やめとく。おれは社会によって弄ばれる悲しい生き物なんだよ、たぶんこれからもずっと騙されてるって知りながら踊りつづけるんだ。わかるだろ?
   わかります。──じゃあ、なにがいいんです?
  レバーを100鞍牟。
   なんと怖ろしいことを。
 それでもけっきょくおれは鶏のレバーを手に入れた。肉屋は不安そうな、落ち着かない素振りでしばらくこっちを見つめてた。どうだってかまうもんか。おれはタイムマシンで別の世界にいってやる。過古を変えつつ、世界線を移動しつつ、おれが最高の人生を送れるだろうところへたどり着いてやる。レポート? そんなものはケツ喰らえだ。
 帰ってきてマシンに肉を投入した。しばらくして焦げるみたいな臭いと、咀嚼音が聞えてきた。いったいなにが始まるってんだ? ダイヤルをセットしたがマシンはうごかなかった。おれは酔っていたし、庭のれもんの木にしょんべんして眠った。明くる日、文屋の知り合いに電話した。かれは最近競馬を憶え、おれに8千円の貸しがあった。
  もしもし、おれだ。
   金ならいまないし、おまえのくだらない短篇だって載せてやらないよ。
  金も短篇もどうだっていい。
  おれはタイムマシンを手にれたんだぜ。
   なら、とっとと幕末時代にでも消えてくれださいな、だ。
 まあ聞けよ、──おれは話した。ことのあらましから、報酬のことまで。少し喋り過ぎてしまったのかも知れない。かれは時間が空き次第、マシンを見に来るといった。
   やっぱりデロリアンなのか?
  いいや、アイス売りの屋台さ。
 またしてもずる休みをして室にいた。トム・ウェイツの「バッド・アズ・ミー」を大きな音で鳴らし、隣の親子喧嘩を聞かないようにしてた。26歳の息子と67歳の父親が、もうずっと諍いのなかにあった。世相もよろしくない。吸血鬼のような政治屋どもが、それぞれの縄張りについてうだうだとやってる。こんな世のなかにあっても投票にいくやつはいるし、それでなにかが変わるとおもいこんでる痴れもので世界はいっぱいだ。他者を変えようとするのは不毛だ。おのれを変えたほうが手っ取り早い。──そんな浅ましい考察を繰り返してるうちに文屋は、いつのまにやら、おれの室に入り込んで、おれの非加熱麦酒を呑んでた。楽ちんだ、挨拶の必要もねえ。
   犬のアインシュタインは元気?
  生憎と犬は飼ったことがないんだ。
   だれが先に乗るんだ?
  8千円のほうだ。
   わたしは冗談はきらいだ。
  気が合うな、
  おれも冗談はきらいなんだよ。
  それとも利子をあげて8万にしてやろうか?
 かれは観念したみたいで、おれの冷蔵を勝手にあけて、おれのカナディアン・クラブをおれのグラスに注いでくれた。そしておれの机のうえにおき、おれのほうへ差しだした。これで答えは決まった。おれたちは乾杯をして酒を呷ると、外階段を降りて駐輪場のはずれにある繁みへと歩いた。シートをかぶったマシンが隠してある。おれはそいつを引っ張って、かれの、やつのまえまで滑らせた。
   本気なのか?
  とりあえず説明書を読めよ、燃料は入れてある。
   原発でも襲ったのか?
  そんな必要はない。
  肉屋で売ってるんだ。──おかしな肉屋だったが。
 おれたちは説明を読み、操作方法とレポートの書式や提出期限について確かめあった。まずはやろうが実験台だ。おれは高見の見物と決め込もう。
   まあ、3日だな。
 それくらいあれば充分だろ?
  ああ、そんなところだ。
  健闘を祈る。
 文屋は屋台を押して帰った。おれがどんなに勧めても、どうしても乗らなかった。まあ、いい。おれはれもんの若い木々にしょんべんをして、室にもどった。親子喧嘩はまだつづいてる。おれはふと親父のことをおもいだした。やつは廃材で拵えたおかしな家に棲んでた。おれのことを召使いのように扱ってた。いまではプノンペンで身ぐるみを剥がされ、乞食をやってると聞いた。10年もまえの又聞きだから、プノンペンではなく、セゴビアの刑務所にでもいるのか知れない。
 隣室の狂騒にぴったしの音楽はなんだろ? レコードラックを眺め、おれは股ぐらをさすった。そろそろ女の子を用意する時間だ。きょうは水曜日だから、本来なら《蝸牛》が来る。でも、そんな気分じゃなかった。あんな感傷主義者とはごめんだ。というわけでダイヤルをまわして《鋸鮫》に頼んだ。ちょいど攻撃的だが、知性のある女なんだ。それから3時間もあと、その女を後悔してるおれがいた。どこで機嫌をわるくしたのか、女はなにもかもに当たり散らし、持って来た映画を鑑賞しだした。それもホラー映画だ。おれはそいつがきらいだった。
  なあ、それはないだろ?
   きょうはそんな気分じゃないっていってるでしょ!
   カタツムリのなにが気に入らないのよ!
   カタツムリとやりなさいよ!
 したかなくおれは映画につきあった。そそるものはなにもなかった。それでもかの女とシャワーを浴みるころには、わるい状態からどうやら快復したみたいで、冷えたシェリーを何杯かやってから、かの女のなかに突っ込んだ。
   また今度!
  もちろん!
 電話が鳴った。文屋からだった。えらく昂奮してる。なにをいってるのか、はじめわからなかった。よくよく聞けば、時間旅行に成功したらしかった。でも、なにかがおかしかった。
   おい、こいつのおかげでいい記事が書ける! なにしろ、なんでもわかるんだ!──それから長ったらしい歴史の講釈が始まった。帝銀事件下山事件? 北関東少女連続殺人? 小学生の売春組織?──おれにはどうだってよかったが、ともかくマシンは無事だったらしい。帰って来れたんだ、おなじ世界線ってやつに。やがてやつの声が遠のいてった。通信がよくないんだろう。   
  レポートはまかせたぜ。──そういって電話を切った。
 そろそろ仕事にいかなくてはならない。おれは残業を含む10時間にむかった。帰ってくると、だれかがおれの室にいる。それはまちがいなく《蝸牛》だった。泣きながら、おれのベッドに坐り、背中をこっちにむけてる。ハートランド・ビールをあけて机にむかい、いうべき科白を小一時間、探した。
  おれが憎いんだろ?
 女は首をふった。こっちを見ないで。
  おれがわるかったよ。
 ビールを片手にベッドに近づいた。そして女の背中に唇を寄せ、慰めるように吐息を吹きかける。じぶんでも陳腐な場面だったが、女を怒らせるとか、敵にまわすとか、下手な刺激を与えるとかして生き延びた野郎は有史以来存在なんかしてない。おれはそれを心得てる。
   助けが欲しい。
 ようやく女がこっちを見た。乱れた髪のなかで青痣のある頬が見える。
  なにがあったんだ?
   弟が家で暴れてる。
   働きもせず、酒に酔って、父とわたしを撲ったの。
 《蝸牛》は大学院に通いながらからだを売ってるといつか聞いた。弟がいるのも知ってる。なんでもそいつは生まれつきの落ち零れで、文学だの藝術だの与太を飛ばしながら、金も稼げず、のたくらやってるそうだった。でもそんなことはおれに関わりがない。どうだっていい。ただこの状況をうまく使えばただで一発できるはずだ。
  今夜は泊まっていけよ。
   そうじゃない、そんなことで来たんじゃない。
  じゃあ、おれはどうすればいい?
   あなたに頼みががある。この痣じゃあ、しばらく客はとれないからわたしを囲って欲しいのよ。
   だってお金がないと学費も払えないし、
   わたしは将来、アイ・ビー・エムに入る人間なの!
 おれのなかでなにかが壊れた。黙って女の腕を掴み、そのまま戸口まで引きずった。
  でていけ!
  うすぎたねえ女のくせしやがって!
  アイ・ビー・エムなんざけつ喰らえってんだ!
 青ざめた顔で娼婦は駈けだし、やがて軽自動車で走り去った。おれは隠し金を確かめた。よし、大丈夫。非加熱ビールをもういっぽん開け、音楽をかけ、みずからを慰めた。またしても罠にかけられてしまった。あの女はきっと仕返しに来るだろう。おれは生きながら滅びるというわけだ。それでもタイムマシンの報酬がある。そいつを独り占めにしてこの土地からずらかってしまおう。3日後のレポートが愉しみだ。
 朝になって電話がかかって来た。まずは《蝸牛》からで、曰く「高学歴の女を抱けるだけでも感謝するべき」、「ぜったいに赦さない」ということだった。好きにするがいい。次いで文屋からだった。
   こいつは凄いぞ、これで出世できる!
   馬で負けることもない!
   ありとあらゆる不正と謎を暴いてやる!
  それでレポートはどうなんだ? 進んでるんだろ?
   あんなものはどうだっていい、マシンは買い取ってやる!
  え?
   わたしは世界を救う、わたしはじぶんの人生を救いだすんだ! いままで味わってきた苦痛もなにもかも変えてやる!
 やつは正気でなかった。──わかった、わかったよ。とにかくマシンを返してくれないか?
   だめだ!
   こいつはおれのものだ!    
 おれはやつの職場に電話をかけた。いかれてるか、ふるってる、それもふるってていかれてる。やつはもう何日も出勤してなかった。未明、やつの家に忍び込み、マシンを取り戻した。その祝いにあたらしい女、《蟋蟀》を呼んだ。かの女と酒を買って帰る。──ねえ、これなに?
 駐輪場のマシンを見てかの女がいった。
 タイムマシンだ。──なにいってんの?──これはどうみたってアイス売の台車よ。
 いっこうに《蝸牛》は仕返しに来なかった。2発決めてから、おれはマシンを起動させた。肉の焦げる臭いが、またも鼻を突く。燃料はあたらしく入れた。とりあえず、こいつで過古にいって自身の存在でも消してやろうか。もうそろそろ、この人生にはうんざりしてた。仕事があろうとも、金があろうとも、大した未来が待ってないのはとっくにわかってる。もはや自身に情熱も野心もないことはあきらかだった。ばかげたアルコールとばかげた女どものなかですべてが擦り切れ、かつての夢がおれを苦しめる。そんなことにはあきあきだった。おれは時間をセットしてスウィッチを押した。そして30分待った。なにも起らない。さらに1時間待った。なにも起らない。あきらめてタラップを降りた。
 翌日、おれはアイスを仕入れると、ある夜、台車を走らせた。町を見下ろす丘。夜景を眺める山出しのアベックたちに売りさばいた。なかなかいいアガリだった。みんながおれを写真に撮った。手をふっておれは丘をくだった。
 レポートはじぶんで書きあげた。──《コノ機械ハ出来損ナイデアル》。タイムマシンだって?──聞いて呆れるぜ。おれはあの黒人を探して港をほっつき歩いた。やつはいなかった。いったいどうなってるんだろう? おれはれもんの木々にしょんべんをかけながら考えた。
   やめないさい!
 ふりかえると女家主が立ってた。守銭奴の老婆に見つかってしまった。
  水をやってたんですよ。
   ふざけないでください。あなたのことは近所で噂になってます。
   いろんな女性を連れ込んだり、おかしな屋台を運転したり、とても迷惑してます。
  もうしませんよ。
   いいえ、いまからでてってください。警察を呼びます。
  わかりましたよ。
 あのくそ屋台はどうしよう。おれは荷物をまとめようと室にもどる。だれかがおれの室にいる。それはまちがいなく《蝸牛》だ。女はひとりじゃなかった。《鋸鮫》や《蠍》はおろか《麦畑》までいる!
  いったいどうなってるんだ?
   聞いたわ、あんたが《蝸牛》をむりやり犯したって。
 《鋸鮫》がいった。どうやら罠に嵌ったらしい。
  だったらどうなんだ?
   開き直るつもりね。
   あんたがどれだけわたしたちを傷つけてきたか、おもい知ればいい。
 かの女たちがいっせいに手斧をふった。おれのものを毀し始めた。机やレコードラックやプレイヤーがはじけ飛ぶ。おれは黙ってみてた。こうなっちゃ、どうしようもない。ただこっそりアイスの売上げをポケットにねじ入れた。
    なにかいったらどうなの!
 《蠍》がいった。
  べつになにもないよ。
  好きなようにやりなよ。
 おれは椅子に坐って莨を吹かした。もうなにもかも、どうだっていい。生活にも人生にも飽き飽きだ。ただ飯を喰ったり、通りを歩くためにしなければならないこと、手に入れなければいけないものが多すぎる。ここから去っていけるなら、この世からだって去っていけるにちがいない。おれは寝台で仰向けになって天井をみた。女たちはやがて静かになり、ぢっとおれを見る。──もう終わりか?
   なによ。
   あんた、いつもとちがうじゃない?
  どこもちがわないよ。
   なんか、落ち込んでる。
  そうじゃない。
   具合がわるいの?
  そうじゃない。
   馘首になったの?
  そうじゃない。
   じゃあ、なに?
  おれはもう疲れたよ。それにおれはきょうここをでなきゃならないんだ。しかも文無しでだ。そのとき、ブンヤから電話がかかってきた。マシンを返せ、わめきたててた。おれの職場にも電話をしたらしい。しばらくしてほんとうに馘首になったのがわかった。女たちが見守るなか、おれはマシンで港を目指した。嗤われ、うしろ指を差され、のろのろと埋立地へ。タンカーが見えてきた。巨きな貨物トラックや、荷降ろし場が見えてきた。おれはもう疲れ切って声もでない。そのとき、あの黒人に出会した。おれはやつにレポートとマシンを渡した。
 「どうだった?──時間旅行は?」──生憎、こいつは使いものにならなかったよ。──そいつは残念だ。──金はどうなる?──わるいな、きょうは渡せない。──おれはアパートに帰った。もうだれもいなかった。大家が警察を呼び、かの女たちは連れていかれたんだ。──「とりあえず歌おう、──賛美歌42番!」──これは神の怒りによって滅ぼされる人類を唱った陽気な歌であるといい、厚生センターで大声を張りあげた。

 

   *
   
 かれは狂ってたのかも知れない。男は職員たちに連れてだされ、やがて警察を呼ばれた。ぼくは毛布に包まって眠った。そして朝の港まででかけてった。第4突堤の食堂で定食を喰った。するとひとりの黒人が近づいてきた。真っ白いハンチング帽をかぶって笑いかける。
   ヤア、見ナイ顔ダナ?
 おたがい片言で語りあった。文学のはなしだ。リロイ・ジョーンズリチャード・ライト、ラングストン・ヒューズや「ぼくのために泣け」や、なんかについて。──「ちょっと見てもらいたいものがあるんだ」──船員はいった。かれについていくと、シートに包まれたなにかが倉庫の裏手にある。
 「なんだい、これは?」──タイムマシンだよ。──かれがシートをはぐった。タイムマシンだって?──でもそれはどうみたって新聞配達のカブじゃないか。──こいつをちょいと試してほしいんだ。
 「ギャラは弾むよ」──ぼくはさっそくエンジンをかけてみる。肉の焦げるような臭いが鼻を突っつく。黒人はにやにやしながら、じっとぼくを見てる──いったいなにが始まるんだ?

陳腐なる、救いようのないものについて

 
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 たとえばわたしが24のとき、はじめての膵炎で入院していたときだ。病室のテレビで堀北真希のドラマ「イノセント・ラブ」の第1話をたまたま見た。田舎から不幸な理由があって堀北は上京し、ハウスキーパーの仕事に就くも、同僚の宮崎美子(だっけ?)にかの女自身の盗みの濡れ衣を着せられ、さらにかの女の出自のために馘首になる。いかにも不幸、ただそれだけを演出するための挿話。そこへかの女の救い主になるだろう男が現れる。そこでチャンネルを変えてしまった。脚本家がばかで、演出がくそだからこそできる、技だ。堀北真希は現当時人気があったものの、わたしが憶えているかぎり、代表作と呼べるものがない。流れ作業によってつくられたドラマばかりだ。コマーシャルではいい仕事もあったようにおもうが、それだけだ。もっとひどいのは「アタシんちの男子」で、これはもう芝居ですらない。夕方の再放送を見、厭きれてしまった。広告にあったルンペン姿のかの女も茶番でしかない。なんというか、飼い殺しにされた女というイメージが堀北真希にはある。

 

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 たとえば映画ですらないという映画もある。「富嶽百景─遙かなる山脈─」とか、「問題のないわたしたち」とか。前者はまったく理解できない。なぜ太宰治を使ってあんなものをつくるのか、単純に映画監督の肩書が欲しいだけとしかおもえない。塚本高史はぶつぶつ独りごとで原作まんまの科白を喋り、現代劇としてつくるつもりがほんとうにあるのか、わからなかった。後者はただのアイドル・ビデオで、校内暴力などの問題に切り込む気がまったくない。途中で挿入される少女たちの旅行の場面や、そこでかかるへたな歌。まったく話になっていない。人物や出来事がスライドするだけで、一貫したつながりを持たない。主人公によるいじめや、主人公へのいじめ、女教師へのいじめ、家族関係──そのどれもがらやすく現れ、たやすく解決してしまうのだ。こんなもの撮るのは資源のむだでしかない。

 

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 たとえばわたしが31のとき、精神病院で映画の上映会があった。作品は「阪急電車 片道15分の奇跡」──ひどい題名だ。厚顔無恥のなせる業だ。映像も人物造形も安っぽい。エキストラがみなおなじ背広を着て、おなじ歩き方をする場面すらある。子供をつかって同情心を煽ったり、老女の人生や語りによってひとを啓蒙しようとするところもある。だがこの映画はなにかと問われれば、ひとこと「成りやがりものや、下層のひとびとを敵視し、それを上層階級の人間が戒める」ということだ。だからこそ、きれいなだけの人物や、醜く、あるいは暴力的だけの人間が登場する。ある一面しか持たない人物だけが、この映画にでられるということだ。いちばんわかりやすいのはラスト、宮本信子演じる老女が見得を切る。浪費癖で騒がしい有閑の中年女たちへだ。宮本がいきなり、一方的に、それもはしたない大声で発した《日本人論》が理解できず、「怖ァ」などといいながら立ち去っていく。中盤にはかの女たちに無理をしてつき合う主婦も当時する。しかし肝心なことが描かれていない。それは中年女たちがなぜ浪費に走るかだ。そういったものはストレスが主たる原因だ。家族間の不和、経済的不安、そのほかなんとでもおもいつくはずが、この映画の脚本家はそれらの造形をいっさい抹殺してしまった。ロケやなんかにいくら金がかかったのか、わたしは知らない。しかし脚本の時点で塵ですらないのだ。戸田恵梨香の場面も理解できない。なぜ恋人がDVに走ったのかがわからない、なぜ上野樹里らとの場面で「道場へいくか」と謎の男が恫喝するのかもわからない。それらの人物同士の関係がどこにも示されてないからだ。このホンを書いたやろうはじぶんがなにを書かんとしているのかが決定的にわかっていない。だからどの場面も唐突で、説明的(しかし説明になっていない)、人物と人物との交差がまるで劇的にはなってないのだ。もしこの映画を伊丹十三が撮っていたらと、わたしは見終わったあとでおもった。

 

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 日本のニュース番組も救いがたい。まともなものがない。夜はましだが、朝、昼、夕方はひどい。色彩感覚のわるいたわけがセットをつくり、出演者の衣装を決めている。テロップ、ワイプ、吹き替え(外国語には必ず入る、それも大袈裟なものが)、印象操作、結論の誘導、コメンテーターの的外れ、論点外れのコメント、無意味で無価値なよしもと芸人、それでもっていまだにモリカケやトランプあたりをぐるぐる延々と旋回しているのだ。夜のニュースも最近はよくない。いまテレビを持たない生活を7年送ってるが、たまに出会すことがある。ビートたけしのやつや、宮根誠司のやつ、安藤優子のやつは見ているやつも、つくってやつも、でているやつも、愚かだ。デマやプロパガンダはあたりまえ、因果関係と相関関係の混同もあたりまえ、芸能事務所に忖度(正しくは斟酌です)、相撲協会に忖度(正しくは斟酌である)、反社会勢力にも忖度(正しくは斟酌で御座候)、それでもって現政権を叩いている。なんのギャグだ?──そもそもこいつはギャグなのか?

 

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 もしかしたら日本人の美意識は「ええじゃないか」で止まっているかも知れない。抑制ができない。派手であればいい。日本全体がスーパ-玉出になればいい、そう多くのひとびとは、おもってるのかも知れない。でも、わたしはそういったものに我慢ならない。だからテレビは買う金があったとしても買わない。新聞も見ない。ばかげたオピニオン誌はひまつぶしに立ち読み、それでおしまいだ。
 ガラリと話かわって、日本の実写作品は押しなべて奥行きがなく、平面的だ。ひょっとすると出演者のギャラのために照明が犠牲になってるのかも知れない。さらに最近は派手な原作漫画ばかりに手をだす。それも安手のCGにコスプレ大会のようなありさまだ。見たいとおもう邦画がなかなかない。「サニー/32」は見逃してしまった。そこへ来て先日、押見修造原作「志乃ちゃんは自分の名前がいえない」の予告を見た。原作も好きだが、とにかく絵づくりがいい。明るさも暗さもばっちりだ。

 

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南沙良&蒔田彩珠主演『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』予告編

堀北真希 フォトエッセイ「コトノハ、きらり。」

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問題のない私たち RAX-502 [DVD]

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阪急電車 片道15分の奇跡 blu-ray

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志乃ちゃんは自分の名前が言えない
 

 

 

そして遊戯は終わる

詩集「世界の果ての駅舎 詩群2014-2016」あとがき

 

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 どうしてこんなにも警官が多いのか。やつらの車はわたしが坂を降るたびに、角を曲がるたびに、そして大通りで信号待ちをしてるときにも現れる。回転灯を光らせ、静かに。加納町交差点にいたマル暴は消えた。生田町の端っこで街宣車を停めてたやつらも失せた。日の丸を掲げた表札のない新築のむかいでは覆面車が鎮座し、制服警官が立っている。駅前の遊技場、そのまえではたびたびパトカーが停まり、なにかやってる。手入れにしてはしつこい。いったいなんなのか、これでは景観ではなく、都市警官である。──そんなことをおもいながら大安亭で喰いものを仕入れる。きょうは鶏胸肉と豆腐、春雨、アボガド、カット野菜、山葵菜のサラダ。ドッレシングは青紫蘇をもとに生姜ペースト、タバスコ、バジル、オリーブ油、オリーブの実、そしてコリアンダーを少し、蜜柑の果汁をたっぷり。わたしは多くの警官たちに守られながら町を歩く。守ってくれとはいった憶えがない。たしかにやくざものが、組織が多いのもたしかだろう。下町へいけば、防弾扉にまもられ、安っぽいスポーツ・カーを侍らかした建物もある。ずっとまえには即席の街宣車も停められ、黒地に黄色で「反共」と書かれていた。おお、過ぎ去った時代よ。そうおもわずにはいられない。共産主義はすっかり過古の遺物でしかない。左翼でも革新派でもなく、ただ単純におつむの軽い連中をいう。たやすく和平を叫び、たやすく暴力にでる。わかりきった芝居だ。わたし自身は中道でありたい、やや革新がかってるとしても。過古にしがみつくのも、アスパラガスにしがみつくのもご免だ。わたしはわかりやすさに警戒する、極端なものいいに警戒する、単純化され、誇大化されたものを嗅ぎ取る、二元論から離れる。そんなものに手をださないために、かどわかされないためにも。やくざも政治家も組織社会の極点といってしまえばわかりやすい。かれらの行為や理念はよく似ている。清き1票などというたわごとは信じていない。ものをいうのは、人脈であり、数字のついた透かし入り三叉和紙である。それをわかっていないからセンター街では老人たちが消費期限の切れたデモをやる。学生たちがオルグされる。ほんとうの敵はおもてにはでない。現首相や閣僚を悪魔化したところで、思考がブロック化されてしまうだけだ。もしも憎悪するのならまずは身近なところからと、わたしはいいたい。きみの父を、母を、姉弟を、学友を、隣人たちを。そして自覚を持つんだ、みずからの怒り、憎しみ、悪意、そして虚無を。まずはそこからだ。なぜ組織社会は共食いをはじめるのか、なぜ争いが好きなのか、なぜ同志を撲るのか。そばにだれかがいるのをあたりまえだとおもうひとびとにとって主義や理念ほどおいしいものはないのだろう。わたしは生まれつき、あらゆる組織から脱落してしまったから実際のところ,どうだっていい。殺し合うのなら大切で最愛な仲間のうちでやってくれ、わたしの願いはそれだけだ。そろそろ、この詩集について書かなくてはならないからだ。ふるってるのはわたしかも知れない。

 ここに収められた詩篇のほとんどは、'14年5月21日から'16年5月11日にかけて書かれたものだ。そこから撰び採られ、ならべられた詩は、前作「38W」と較べていくぶん明るい色を持ち、《いっせいに青い鳥が飛ぶ》ようだ。これらの詩が書かれた時期、わたしは最悪といっていい事態にいた。留置場に2度、精神病院に6度も入れられ、多くのひらびとから──多くはむかしの同級生たちに縁を切られてしまってた。そういう情況にあったためか、ずいぶん大胆に事実を書くようになり、いささか露悪やつくられた態度があるにせよ、素直さが増した。そのなかでも「アニス」、「拳闘士の休息」、「労働」、「大聖堂」、そして「冷蔵庫のバックパネル」は経験をほとんど、そのままに書いている。このころ、比喩に毒されず、いかに詩を保つか、というのがひとつの課題だった。即物描写と詩情をいかに両立させるか、そんなこともたしか考えていたとおもう。 しかしだ、いずれにしてもここにあるような詩ができあがった詩の世界で受け入れられわけもなく、わたしはただただ苛立っていた。幾何学的ななにか、あるいは技術的ななにかのためにわたしは書くつもりも、奉仕するつもりもなく、ただ書いていた。いまではそんな無軌道な書き方はしなくなった。けっきょくわたしも投稿欄や賞を目指すようになってしまった。出口の見えない暮らしを少しでも変えるために。いささか齢も重ねたし、臆病になったのかも知れない。名声が欲しいとはいってない、書くための時間と場所、そして呑み喰いぐらい、賄わせて欲しいだけだ。もちろん、それだって充分すぎる贅ではあるものの。
 「二宮神社」、「新神戸駅」、「夏祭」、「聴雨」は神戸そのものに捧ぐ詩だ。この町に移ってもう7年になる。ずらかろうって気になるときだって少なくはない。たまにはどっか静かなところで過したい。それでもこの町から得たものは、具象・抽象の境なく、詩や短歌、小説にも役立っている。音楽や写真、思索にもだ。巻頭の「ロードムービー」と終わりの「天使」はもともとひとつの詩だった。「ロードムービー、ロックンロール、アメリカ、天使」という長篇詩である。この題は、キネマ旬報社刊「フィルムメーカーズ11 ヴィム・ヴェンダーズ」収録、青山真治「未だ知られざる映画作家」から採った。ロックンロールとアメリカを除け、サンドイッチとして使った。わたしはヴェンダースの映画が好きだ。むかしおもった映画監督への夢をさまざなところに再現している。この詩集は文字列による映画表現なのだ。
 これを詩画集にしようと考えたのはただ頁数が足りなかったためである。もちろんアイディアとしてはずっとあった。写真のつぎは、カラーで絵を入れたいと。しかし今回は予算の都合によってカラーはだめになり、時間の都合であたらしい絵をほんの少ししか描けなかった。もうずっと絵から遠ざかってしまっていたというのもある。どうか、赦して欲しい。わたしをゲシュタポには引き渡さないで。いまは長篇小説で四苦八苦している。自伝の部分で夥しい失敗をしている。金を喪った。いずれにせよ、ものの書き方を変えていかなければならない。題名に頼ったり、文体に酔うのでなく、ほんとうの試みと主題をもって書くこと。わたしはいつもどこかへ逃げていた。手法や題名、文体、視点に。もうそんなふうにして愉しめるときは過ぎたのだ。去年のいつだったか、「枯槁」という詩を書いた。そのときは「古今和歌集」から単語を拾いつつ、視覚(ヴィジヨン)よりも音声(サウンド)で詩を書いてみた。試みはやや巧くいったとおもっている。しばらくわたしはこのやり方で書くかも知れない。とにもかくにも、この詩集を読んでくれるひとびとへありがとうと伝う。

'18年4月15日 なかたみつほ