みずから書き、みずから滅ぶってこと。

中田満帆 / a missing person's press による活動報告

旅の写真帖:東京

 

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  ずらかりたい。たしかにあまい考えかも知れない。わたしはアマゾンの下請倉庫をうろつき、右のものをひだりに、うえのものを足許へ動かしてるあいだずっとそう考えてた。いまいるところを抜けだしただけであるのはちがった現実であって、またそいつに喘ぐことになるとわ かってもいる。それでも情況を変えようとせずにはいられなかった。夜から明けまでの日払いの、半端仕事。はした金のためにあく せくとしながら、長年の脱出願望をこの手に掴もうと汗を流してた。
 わたしの仕事はほとんどが東灘の倉庫だった。でなければたまに須磨のほうで、どちらも倉庫街。まちがってもちかばの中央区内で はなかった。日当が8千ほどの夜勤をやっつけやっつけして、ようやく8万ほどつくった。わたしはパートタイムの労働者で、フルタイ ムの与太者だった。
 ごくごくはじめ、仕事探しに口入屋をまわってるあいだは旅のことはそれほどの関心でもなかった。新潟は十日町へ移動できればいいとしかおもっちゃなかった。なんとか身に合った案件にありつき、金が溜まって来て、あの願望とふたたびってわけだ 。まずは青森にいくことした。もう数年もまえからいくことを公言し、果たせないままでいた。詩人の佐々木英明にもそういってた。手紙のなかや、電話でもいつかいくといったままだった。9月10日、最后の仕事をやって、12日のバスを予約した。青森では市街劇が終わったあとだ。ほんとうは劇に合わせるつもりだったが、金がなかった。はずれ馬券をくず箱に棄て、町をぶらついてたというわけだ。

 

9/13

 

 乗るバスをまちがえて京都で夜を明かした。バス会社のなまえがよく似てたからだ。サンヨーバスとサンヨー交通とかなんとか、そういったぐあいだった。まちがいがわかったあと運転手と悶着をし、京都駅で降りた。後続のバスやほかのバスを求めたが、だめだった。近場の安宿を探した。これもだめだった。しかたなく停留所で寝た。おもっったよりも空気は冷たかった。別のバスを予約して朝東京へむかう。

 東京は12年ぶりだった。21歳のとき、二度上京した。なんとか暮らしを立てようとした。だめだった。作家に弟子入りし、飯場に潜りこみ、自称やくざのやろうにあわやけつの穴を奪われそうになっただけだ。やつはいまどうしてるだろう?──そんなくだらないことをおもってしまう。やがて窓は暮れて川崎の重工業地帯を過ぎた。

 

 

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 川崎の重工業地帯を抜ければ東京だ。

 

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 新宿でひと──詩人──に13年ぶりに会い、中野でひと──「裏庭文庫」主宰人──の室に泊めてもらった。翌日、神田と秋葉原をぶらつく。入るはずだった金が入ってなかった。車のオークション会場の仕事で入るはずの金だ。作業確認の紙を提出していなかった。電話口でわたしは苛立ち、汗を流した。しかたなしにぶらつき、電気街や古本屋街をまわった。

 

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 夜、バスを逃してしまう。ほかのバスに乗ろうと東京駅までいく。しかし空きがなかった。中国人マッサージの勧誘に乗って、雑居ビルの一室で眠った。

 

 

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9/15

 

 その夜もバスに乗れなかった。しかたなく上野駅のちかく野営した。

 

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 朝、青森行きのバスに乗った。

 

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さらば友よ (ハヤカワ・ミステリ 1074)

さらば友よ (ハヤカワ・ミステリ 1074)

 
逃亡の顔―悪党パーカー (1968年) (世界ミステリシリーズ)

逃亡の顔―悪党パーカー (1968年) (世界ミステリシリーズ)

 
生き残った者の掟 (Hayakawa novels)

生き残った者の掟 (Hayakawa novels)

 
墓場なき野郎ども (Hayakawa pocket mystery books)

墓場なき野郎ども (Hayakawa pocket mystery books)

 
The mad broom of life

The mad broom of life

 

既視体験

 

 どうしてきみが
 そんなことで電話かけてるのかって
 はなして
 ぼくらは車に乗った
 気狂い専門の
 光風病院よ
 そこらな清潔さがすこぶるいい

 だれもかも患者を入れた入りしないし
 あなたもきっとそこが気に入るって
 ぼくはなんだからわからない面持ちでサイドブレーキを引く
 きみはぼくのことが好きか?
 ええ、でも、
 アル中でなけれもっといいのにね
 もうじき神戸市北区は山田町へ入る

 急雨勾配の坂のなかでかの女のお尻を触ったら
 なんとなく、ただなんとだたんだ
 かの女は怒って
 職員にいいつけるかとわめき
 ぼくらは隔離されたで待合に坐った、
 かの女の呼吸をおもいだしてた
 トップギアが可愛そうだった
 きみにいいたいどこまでぼくを追いかける

 ああ、神はぼくが来たって知ってるらしいね?

 


Yo La Tengo - Nuclear War Version 1

ちんすこうりな「女の子のためのセックス」2017

ちんすこうりな「女の子のためのセックス」2017/草原詩社

 

女の子のためのセックス

女の子のためのセックス

 
青空オナニー

青空オナニー

 
季刊誌東京荒野第七号 (東京荒野)

季刊誌東京荒野第七号 (東京荒野)

 

 
◎ぼくは女の子を知らない。

 

 ひとびとに対するおもいはぼく自身が遠ざかるように離れていってる。環のなかからひたすら零れ落ち、もはやブルーカラーですらなくなったぼくには好きだとか、愛するということは過古で、だれかとつながれるということはSFの世界になってしまった。《海で哲学しないやつがあるか!──波また波》とマヤコフスキーはいったか。かつて不眠症の夜、海までよく歩いた。黝い波のうねり、高速道路、ジョギングの若い男、釣り人、停泊する船。哲学にはあきあきだった。眼に見えるもの、手に触れるものが欲しかった。ぼくは女の子に好かれたことがない。性のめざめが齎したのは戸惑いと初恋と劣等感だけだった。セックスはいちどきり、今年の4月8日。かの女のなまえはいちばん下の妹とおなじだった。ぼくはいけなかった。射精障害だった。なにもかもに晩稲なままぼくだけが暮れていく。 
 Stereolab の"Margerine Eclipse"というアルバムを聴いてる。生憎かれらかの女らには詳しくない。数年まえにメンバーのひとりが自動車事故によって亡くなったこと、映画「トマトケチャップ皇帝」を借名した作品があること、テレビショー"Whisky a go go"での"Franch disco"がとてもいいということくらい。きょうは喰うものがない。金はあした入る。きょうは炊きだしで昼を済ませただけだ。室は寒い。空調のリモコンが毀れたままと来る。本来なら旅の記録を書く予定だった。けれども現像にだしたフィルムがだめになったためにそれも延期。フィルムはいまべつの写真屋で修復中である。旅のあいだずっと鞄に入れてた詩集についてきょうは書く。
 かの女との接点はない。ぼくはかの女のことを知らなかった。かの女はどっかの投稿サイトでこちらの詩を読んだらしい。以前にSNSでぼくはかの女にからみ酒をした。なにをいったかはおもいだしたくもない。世に拗ね、ひとびとに拗ねてた。そのあとぼくのニュースレターを読んだらしく、「詩集を買いたい」と申し出てくれた。こちらとしては躊躇った。過古の詩集の再編輯ものだったし、なにしろ内容が野卑で下品だから。女性に読ませてよいものではないという考えだった。それでもけっきょく詩集を送り、購買特典として水彩画を描いた。かの女からの依頼で肖像画を。──残念ながらかの女からの要望でここに絵を掲載できないけど。
 入手して読むまえはハウツー本のパロディみたいな詩集なのかなとおもった。もちろんこれは題名からのただの連想。一読しておもったのはひとりの女の子の、女の子であることの傷みや辛さだった。たとえがわるいかも知れない、いちばん連想したのはフォーク・シンガーの田辺マモルだ。かれの痛々しい恋や性愛の唄をひっくり返したようにおもった。もちろん、これはあまりに勝手過ぎて不愉快な連想にちがいない。

 
プレイボーイのうた 田辺マモル

 

田辺マモル いっしょに寝たけど何もしなかったPV

 

ライフサイクル 田辺マモル

 

◎愛によって引き離されるひとびと

 

 詩のなにをおもしろいとするかによってこの作品の読みは変わるだろう。作品がその人物や人生を裏書きするものでないとぼくはおもってるから、この詩集をそのまま性愛の告白とは読めない。また売買春の肯定だともおもわない。かの女は詩のなかで性愛、性産業、他者との距離、他者との理解、求めること、求められること、あるいは肉体そのものについての執拗に描いてる。しかし語りに熱はなく、どこまでも冷めてる。静かで、あまり動きを感じさせない。時折見せるユーモアがいい。収録作では「夢」が好きだ。それでも何度か詩を読み、何度かメールを交わしたあとにおもったのは「愛によって引き離される」ということだった。肉体が結びついてもそこに愛があるとは限らないし、愛があっても肉体が必ず結びつくわけではない。じぶんに愛を教えてくれたひとが、じぶんを愛してくれるわけではない。かつてぼくは「ラヴ・ソング」という詩を書いた。若くて、愚かだった。

 

 ラヴ・ソング


  おもうにどの女も売春宿からやってきたんだ
  けれどもかの女たちに金を払っても
  触れさせてもくれない
  かつて熱をあげた少女たち
  いまは世帯持ちで 
  男たちから給料を吸いあげて暮らす
  どっか東部の町で平凡さを謳歌しながら
  ある女は亭主をおっぽりだして同級生だった男らと遊ぶ
  けれどそのなかにおれはいない
  遊ぶ相手なんかいやしない
  だれもない世界の、
  その待合室に坐ってひとり遊びに興じるだけ
  おれはおもいだしてる
  かつて熱をあげた少女たち
  好きだということで迫害された過古
  自身がすっかり手に負えない代物になった挙げ句
  愛し合おうとおれはいう
  愛し合おう、
  やがて獣性のなかへと
  引き込まれてしまおう、ってさ

 

 以前にネット記事で現役ホステス嬢のひとが「女性が必要としてるのは助言ではなく共感」といってた。もしぼくが自身の下心に抵抗がなかったら、この詩集を称賛しただろうし、共感の態度を演じることもできただろう。でも悲しいことにそれができないからぼくはもの書き、女性にきらわる。たぶんぼくはだれにも寄り添えはしないし、共感もしないだろう。よっぽどの狂気や逸脱がそこになければ熱くなれない。みながみな、少しづつ互いを傷つけながら生きてるように見える。ほんの少しのきっかけで殺し合いでもするような憎しみを無自覚に生きてるみたいに。それを献身と誤訳したり、慈愛と誤読したり、やさしさとか、おもいやりとかいいながら、みんなくたばっちまえだ。──でもそう吐き棄てながらもいまだこの世界にしがみついてる。

 だれもが愛を享受できるわけない。だれもが性愛の機会を得られるわけじゃない。結ばれるのはごくごくわずかだろうし、それでいて幸せなのはもっとわずかだ。やもめの、少数派の男女からみれば、ちんすこうりなの表現は甘えでしかない。いっそ性愛や肉体を抜きして表現してみればいい。作品としても編輯としてもおそまつだ。編輯だけ──ならおれのほうがもっと巧いだろう。かの女の自己卑下と他者への目線によって癒やさる詩人たちがいてもぼくは否定しない。かれらかの女らがみずからの幸福に盲目なまま消え去ってくれるのを待つしかない。坂口安吾が「夜長姫」にいわせたみたいに《好きなものは咒うか殺すか争うかしなければならないのよ》というわけなんだ。だからおれはまたしてひとりでひとりの鱈を切り刻む。さらば、さらばよ。

 ああ、幸福の鐘の音が聴える。

 

   *

 

 追記:"ちんすこう"などというふざけたなまえをいったいかの女はいつまで掲げるつもりなのか。オナニーやらセックスやら、そんなものが人生や表現するということの、根幹であり心根であるとするようなかの女の方法には疑問しかない。性愛など枝葉に過ぎない。オナニーもセックスもいくらやろうが、どうやろうがゼロでしかない。そしてそのゼロが熱いか、冷たいかだけのちがいしかないのである。かの女は執拗な心理的脆さを露呈している。つまり、絶対的な愛あり、その愛は必ず性行為に直結するという思考である。だが実際、愛が貧弱であっても関係の結果が劇的であることもあり、愛が劇的であっても結ばれずに終わることもある。そしてさらに愛が不在のまま結ばれてしまうことだって充分にあるのである。かの女がすべきことはオナニーでもセックスでもない。まずは詩の古典を通読することである。最低限、近代詩の要である、啄木、藤村、賢治、朔太郎、光太郎くらいはいやでも読んだほうがいいだろう。そして構成と編輯の基礎を磨くことである。さもなくばスペルマのなかで溺れてどろどろになるまで融けてしまうがいいぜ!

 

ドロドロに溶けるまで愛し合いたいんだよ──King Brothers"Party″

 

 性的パラドクスをいかに超越するかが要点であろう。

 


Joy Division - Love Will Tear Us Apart [OFFICIAL MUSIC VIDEO]

 

 

 

犬の名は月曜日

 

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前略 親愛なるS・E氏、そして愛犬のマンデーへ

 


 仕事を探してる。33にもなって。寮つきの工場はだめだった。どれも長期、みじかくとも6ヶ月。超過勤務とその手当を前提にした求人票を見るたびにやつらの経営陣はばかなんじゃないかとおもう。8時間も立ち仕事をしたあとにさらに3時間立ちっぱなしになりたいやつがいるのか。そんなことをやらせてて人間が人間のままでいられるのか。おれにはわからない。最初にいった大阪の面接では短期のがあったが断ってしまった。それ以降、どこも6ヶ月以上だ。バーテンをやめてやらというものツキがないようにもおもえてくる。だがたった6時間で疲れ切ってしまうような仕事ではどのみちやっていけない。だからといって日払い派遣にはもううんざりだ。千円未満でこき使われ、保険料や手数料、システム料といった名目で金をかすめ盗られる。若いうちの、ごくごくみじかいあいだなら赦されるかも知れないが、人生にとってはマイナスでしかない。薄汚い連中とおなじ空気を吸い、おなじようになっていくだけのこと。
 おれの人生のやっかいごと、その多く金で片がつくといっていい。多くの支払い、借金、歯並び、免許の再取得、環境の整備といったもの。ただもっとやっかいなことに金が正しく入り、正しく遣われたことなど皆無だった。多くはアルコールに消えてしまった。もういっぽうでは物欲に負けてしまった。そしていまはアルコールの全勝といったところか。投資をしようとおもいたったが、原資が乏しくて話にもならない。仮想通貨を買ったり、Valuといったものに突っ込んだり、OneTapBuyに入れてみたり。1万円にも充たない金であがいたところでどうにかなるものではない。では広告収入ではどうかとおもえば、ほとんどなにも手をつけてない。なにからはじめればいいかわからないからだ。そうやって手を拱いてるうちに人生はジリ貧にむかって進む。
 でもいまそんなことを考えてる場合じゃない。おれはこれまでずっと承認願望に悩まされつづけて来た。その起源は父からの打擲や家族内での孤立、姉妹との対立、学校でつづいたよろしくない出来事、社会にでてからの失敗やなんかだ。おれはずっとひとに認められたい、好かれたい、受け入れられたい、仲間に入れて欲しいという欲求にふりまわされてきた。書くことによってその欲求を客観視しようとしてた。けれどまったくできていなかった。それというのもこのところ、ろくな作品を産みだしてもいないくせに他者へ求めてしまってる。あるいは酒に溺れて暴露癖を露わにしてる。他人から金銭をせしめようとしてる。そして最后には自身が正しいかのように、純真ななにかのようにふるまってしまってる。これではだめになるだけだ。けっきょくおれは他者を信じられないのだろう。だから自身への評価の裏書きとして金品や協力を募ってるに過ぎない。そしてこころのうちでは多くのひとを見くびってる、あるいは極端に畏れてる。ようは甘えすがってる。
 まとまった作品をつくる気力をすっかり喪った。第2詩集をだした'14年以降、ずっとおれは予告篇ありきなってしまった。ひとつの作品に没入するということもなくなった。でまかせのアイデアを吹聴し、その場かぎりの文章を打ち込んでる。もちろんこいつだってその謗りを免れないだろう。それでも文章というものは必要なものが必要なだけ書かれていなければ読めたものじゃない。全文が書き手の自律のものになければ見れたものじゃない。表記法や装飾や冗長さは手段であって目的ではない。それなのにずっとおれは無駄口を叩いてしまってたし、目的と手段をとりちがえてしまってた。
 いいたいことはふたつだ。──他者の反応に病んでるうちは心療内科かセラピーにいくべきだ。作品はぜったいに書けない。わかるとか、伝わるとか、受け入れられるとか、褒められとか、そんなことが目的ならエッセイとか、オピニオンとか、アジビラでも書いていればいい。そしておれは文章上喋りすぎる。字面の効果とかいうものを気にしすぎてる。そんなことは意味がない。語るべき内容があるのなら、そんな効果に頼らずとも書ける。おれのわるいところはそれらしい雰囲気を醸すために余計なことをしてしまうところだ。もっともっと黙る必要がある。今年の3月、ひとにいわれた。 
 「売ろうとおもって、商品にしようとおもって書かない」、然り。
 「打たせて勝つこと」、然り。
 「戦わないで勝つ」、然り。
 「嘘でもいいから《なにもかもじぶんがわるかった》ということにして書く」、然り。
 「攻撃的な態度で有利なのは10代、20代まで」、然り。
 「功名心にかられた五流の連中を相手にしない」、然り。
 「相手を攻撃せずにうまく茶化す」、然り。
 「俳句のようにユーモアと余裕をもつこと」、然り。ただおれはいわれたことのほとんどを忘れてしまってた。そのうえそいつをどう作品に取り込んでいいのかも考えてなかった。書いてしまったことは消せない。反省するしかない。とはいっても33の鰥夫男がどうやって反省すればいいのか。その答えはまだでない。きょうから冬だという。またしても沈んでしまう。金も喰うものも尽きて、もらった枝豆を喰ってる。味なんかないようなもの。これはひとりぼっちで食べるものなんかではないということ。ひとと麦酒でも交わしながら、いくつか摘んでしまうものだ。あなたも知ってるようにおれには友人はない。かつて友人だった人間ならいるが、そいつもわずかだ。

 このまえの金曜日。電話をかけた。酔って電話をかけたんだ。Rの実家へ。Rの母親がでた。かの女は話をしてくれた。決しておれを責めたてはしなかった。やつとは夜学時代からだった。病院や救貧院へも訪ねて来てくれた。それが4年前、むこうの誘いで個展をやった。サイダイジという遠い町の夏。おれはいろんなことでやつに不満があった。そいつを一気に爆発させしまった。

 ある夜、いつもの道が通行止めになってた。やつはトラックを降り、わめきだした。道を通せ、責任者を呼べ!──警備員はかれの仕事をした。やつを制止し、引き留めた。やつは警備員を口汚く罵った。"だからそんなしょうもない仕事しかできへんねん!"─おれは助手席で青ざめた。なんだってやつはこんなことで?──どうかしたとしかおもえなかった。やつが車に戻る、捨てぜりふを吐く、警備員が小さな声でいい返す。やつは狂ったみたいにかれに飛びかかる。そして鈍い音がして、やがて静かになる。ひとびとが集まる。そのなかに非番の警官という男もいる。やつは怯まない。立ち向かう。やがて駅へとつづく横断歩道から警官がひとりで歩いてきた。ねむたそうな足どり。するとやつはおれにいう。

 「車を運転してくれ、いま捕まったらやばい、免許がない」けっきょくやつの逃がし屋をやった。やつはなんども車線変更を指示した。つけられてるかを気にしてた。やつの事務所に扇風機をつけると、やつのアパートに帰った。喰うものも、呑むものもなしで。「あんなことが週にニ、三回ある」誇らしげにいった。「でもあの警備員には仕事に対する責任感がなかった」その朝、おれは個展をやめて帰ることに決めた。やつの傲慢さ、薄っぺらさには耐えられなかった。わるいやつではないし、家柄もあるだろうが、おれには耐えられなかった。室に帰ってきておれはそこであったことや、それまで感じて来たものをすべてtiwtterに吐きだした。やがてやつから電話がかかって来た。おれはでなかった。ショートメッセージのみ返信した。おれは臆病だった。酔って怒ってまぬけなことをいってしまうのかが怖かったし、やつに怯えてしまうかも知れないのが怖かった。

 あくる朝、おれの父がやって来た。呼んだ憶えはない。これからやつのところにいって絵を回収しにいくという。あとはずっとおれのことを罵った。あらゆる過古と、あらゆる妄想を引用しておれを非難した。まずいかなるときにでもわるいのはおまえだということだった。それ以降たびたびおもいだしてはやつを攻撃して来た。たとえば「拳闘士の休息」という詩の初稿のなかで。

 

   そして三年経ったある日夜間高校時代のやつが電話してきた
   おれの絵をオフィスに展示したいといってきた
   おれは、──かまわないといった
   ただし展示料はとると
   するとやつは絵を売ろうといった
   おれはいやいや諒解した
   それでも絵をまとめて送り
   展示案やポスターを仕上げて
   神戸から西大寺くんだりまでいってやった
   やつはポスターを気に入らないといった
   場所である、椿井市場が目立ってないといい、
   "bargain sale"という個展名に難癖をつけた
   後日ふたたび西大寺のオフィスに訪ねると
   資料用の素描に"The Outsider Art"と直かに書かれ
   市場の各所に貼ってあった
   そいつはいままでみたこともない悪意だった
   おれはポスターを造りなおしてた
   やつは興味を示さなかった
   「アウトサイダー・アート」   
   それは手垢つきの過古だった
   それはすでに体制のものだった
   おれは真夏の市場でひとり汗をかき通しだった
   夜になっておれとやつは工業用扇風機を載せたトラックで通行どめに遭った
   やつは警備員を面罵して──ここを通せとわめき散らした
   責任者呼べ!──おれはハンチングに隠しきれない恥ずかしさでいっぱい
   やつが警備員に呶鳴った──そんなんだから、そんな仕事しかできねえんだよ!
   警備員は小さく「このばかがッ」といった
   するとやつは真っ赤になってかれに飛び込んでった
   地面に叩きつけたれたかれが「警察を呼んでくれ!」と悲鳴した
   おれはやつを撲るべきだったかも知れない
   しかしそいつはまるで屁をひってから
   肛門管をしめるようなもんだった
   きっと拳闘士の休息っていうやつだ
   トム・ジョーンズはイリノイ生まれの作家
   やがてひとびとがあつまりはじめて
   そのなかには非番の警官もいた
   それでもやつはひるまずにわめきつづけてた
   それでもやがて警官が横断歩道のむこうから歩いてきたとき
   おれに運転しろといった──なぜ?
   免許ないから、ばれたら困る
   おれはエンジンをかけ、サイドブレーキを解き、
   警官がたどり着く寸前にロウ・ギアに入れて発進した
   角をいくつもまがり、追っ手がないのを確かめさせてやつはいった
   こんなことが週に何回もある、でもあの警備員は仕事に責任感がなかった
   そのとき口にはできない感情をおれは自身に感じとってた
   ふたりで扇風機を事務所の壁につけようと疾苦しながら
   やつはいった──おまえの学習障碍なんて甘えだ
   おれはいった──杖や車椅子は滅ぼすべきというわけ?   
   ハーパーを呑んでからやつの室まで眠りにいった
   そこには喰うものも、呑むものもなかった
   本棚の目立つところに「超訳・ニーチェの言葉」があった
   そのばかげた本でいっぺんにすべてを諒解した
   このくそったれは超人にでもなったつもりなんだ 
   そしてみんながそうなるべきなんだって信じてるんだって
   そして友情はおれを必要としてないというのがわかって
   憎悪を爆発させることにたやすく傾いてしまった 

 

 読み返しててよくわかるのはおれが単純に他者を消費物と見做してるところだ。ほんとうに他者と頒かちあったことも信じたこともない。終始ずっと疑りをむけてて、いつもいつも綻びや欺瞞を見つけてしまうということだ。同時にそれはおれがおれの傷みについて恐ろしく無知で、手当をしようとして来なかった証しでもある。おれはもうとっくの昔に傷つき、毀れてる。そのことを考えようとしてない。救われたいとはおもう。どうなってもかまわないともおもう。いまさらどうすればというおもいもある。書くという行為によって自己認識の歪みを治せるかはわからない。可能性はあるだろう。ただそれだけ頼ってしまってはいけない。いまさらそう考える。

 母親がいうにやつは、自殺を図った。いまはべつの町で暮らしてる。恋人とは結婚し、子供がいる。しかし本人は仕事もせず、うつろな人生を送り、わが子を愛してるかどうか、それも母親はわからないといった。

 「うちの敷居を跨いだ子はみんなうちの子供なのよ。だからあなたも死ぬなんていわないで生きなさいよ」おれはやつに申し訳なかった。

 互いに電話を切り、くらがりに手を展ばした。冷たくなった窓のなかを台風が進む。ゆっくり進む。おれはでかけることにした。黒ズボンを穿いて、コートを着る。戸をあけると、むかいのアパートから女の子たちの声がする。東南アジアから来た職工たちだ。そこへ一瞥をくれ、地階に降りる。折れた傘が散らばってる。教会の裏手まで道をいくと、車が停まってる。青いフィアットだ。狭い車内でふたりの男が話し合ってる。密偵のようにも殺し屋のようにも見える。そのうち、ひとりがおれの視線に気づいて息を止める。犬の声がする。それからひとの気配。地下道からでてくる若い女だ。いつのまに犬がおれに駈け寄って来る。もしこの犬がおれを喰い殺してくれたならとおもいながら、けっきょくは通り過ぎ、終夜営業のスーパーで牛乳をいっぽんだけ盗んだ。

 いまでもおれはおもいだすよ、きみが好きだったこと、そしてマンデーに咬まれたことを。

 

   ではまた

   元気で 

   M・Nより

 

作品販売中

黙する、まなざし

 

 黙する、まなざし

 またたきの天体

 おきざられた観覧車が、

 さまようぼくを照らす夜

 かわるがわる、

 飛びかかる過去やらきみやら、

 流動体みたいなスカーフ、

 色のないスコール、 交わって。

 

 おはようございます、

 はじめまして、

 ぼくはうれしい、 どうぞよろしく、

 いつだったか夢のなかで

 足踏みオルガンを弾きながら、

 教室から落ちていくきみを見た

 あれから幾年、 ぼくはこの場所に着いた

 

 きみの黙する、まなざしよ

 もはやなまえすら喪って、

 ぼくはやってきた

 ふるい階から

 帽子を片手にして、

 混じりけのないスコッチを

 きみのスコアに叩きつけてあげる