みずから書き、みずから滅ぶってこと。

中田満帆 / a missing person's press による活動報告

夏の諍い──山下晴代氏との問題について

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 もうじき引っ越しだ。あとは引っ越し業者を決めるだけ。もうじき業者来るまえ、この文章をやっつけてしまおう。4万5千の物件から3万9千の物件へ。これから書くことは気持ちのいいものじゃない。大した意味もない。ただおれの靴についた虫かなんかについて言及する。

 数年まえ、'12-15年ぐらのこと。谷内修三の奥方の山下晴代氏と知り合ってなんどかやりとりした。といってもそれはみなfacebook上でのことで、いまや過古だ。'14の暮れから'15年はひどい精神疾患に悩まされてたし、無作法な言動のなか、けっきょくいまでは「友だち」ではない。何度かログインができずアカウントを作り直したさなか、むこうから切られてしまった。

 きのうの夜、日記の改変してfacebookに投稿した。もちろんのこと、ただおもいつきであって他意も意図もない。そうしたところ、朝には山下氏からコメントがつづってあった。

  

 

お金とヒマをもてあましている老人たちが目立つFBですが、こういう「若者」もいます。この人は、5年前か何年前か、かなり昔から知って、FBもやめたり、またやったりしているものだから、もう「友だち」にはなっていません。

しかし、こんな「若者」ができてしまったのは、親や世間が、甘やかしたからではないですか?

また「死ぬしかない」などという、「いつもの」切り札で、善良の人々の同情をひこうとしていたので、世の中のためにならないと、コメントしました。後学のためにご覧ください。

 

****

 

「拙コメント」

あなたの書き込みを初めて見かけた5年前だか何年前にも、「この秋には自死する」と書いていました。それから何度、「死ぬ」と書いていることか。いったい切り札を何枚持っているんですかね(笑)? たとえば、貧しい国の路上生活者の若者は、パソコンも待っていなければ、冷房付きのマンションにもいない。詩集だって出せないでしょう。私の大学時代よりはるかにいい暮らしは、おそらくは親御さんが多少の援助をしてくれているのでしょう。いつも世間への不満ばかりで、「ヘルパーの老婆」とは、なんたる言いぐさ。それに、あなたの「先生」とかいう人もいったいどういうつもりなのか? そして、ここを覗くかぎりは、支援してくれていた方々もいたはず。しかし、その人たちへの感謝の言葉もない。

あなたが初めて「死ぬ」と書いていたのは、二十代でした。まあ、おそらくあなたは絶対に死ねず、これ以上墜ちることができないところまで墜ちて、汚らしい老人になっていくことでしょう。そして、誰も同情してくれなくなる。

シリアなどの難民の子供たちがどれほど辛い目に合っているかなど、あなたの眼中にはなく、いつも「自分が、自分が、自分が」、自分ほど世界中で不幸な人間はいないと思っているみたいですね。

Facebookも、何回やめて、戻ってるんですか(笑)?
私は『新潮』8月号を批評した後半に、あなたのことを書いていますよ。朝吹眞理子という、あなたと同年齢の、おそらくはすべてに恵まれ、悠々と作家活動をしている作家と比較して。その人よりは、あなたの方が不幸だとは思いますがね。

 

 後学のためとはいったいどういうことだろう。そんな効果を持つような取り上げ方ではなかった。かの女がいうようにブログでわたしについて言及されてた。

 

『新潮 2017年 08 月号』──文芸誌の終わり(★) ( その他文学 ) - 山下晴代の「女はそれをがまんできない日記」 - Yahoo!ブログ


まったく同じトシの男性で、Facebookで、作品を発表し、かなりグレているやつを私は長い間「観察」(笑)してきが、才能はむしろ、その男に多くあると感じられるが、職もなく、しかし実家はそれなりに支えてくれているほど貧しくはないのだろうが、ケンカをしては豚箱に入り、精神病院にも入っていたようで、最近は念願の童貞も捨てたようだが、どーだろうー? 彼は、彼があこがれる無頼派作家、ブコウフスキーのように無事、才能のきらめきのなかで「夭折」できるだろうか? 

 

 すぐに調べればわかることも調べてない。わたしはFacebookで作品を発表してない。実家からの支援などない。わたしはバーテンの仕事を辞してから作業所や単発の派遣をしてる。喧嘩でブタ箱に入ったことはない。

 かの女の「友だち」から削除されたはずなのにこうして反応が帰って来る。本人としては「耳痛い意見」のつもりなのだろうが、それはお互いに信頼があってこそだ。これでは偏見と主観に基づいたマウンティングでしかない。以前にもわたしが図書コードを取得し、個人事業主の届け出を出した際、かの女からのメッセージがとどいた。《自主出版まら自己満足なのでISBNコードはいりません》とあった。そんなのことわざわざどうしてメッセージで送ってくるのか。わたしは適当に受け流した。
 ひとの書き込みを覗き見して、わざわざ反応を返してくる。わたしはそんなことを頼んだつもりはない。じぶんから縁を切っておいて接近してくるのがわからない。実際が「世の中のためにならない」というは建前や免罪符でしかなく、自身の感情を害するものをこき下ろし、仲間からの同意を得たいというだけでしかない。じつに不毛だ。
 わたしは自身の言動に問題ないとはいってない。むしろ多すぎるほど多い。それを解決するのにあがいてるだけだ。わたしは有能でも有望でもない。ただひとりでできることをやってるに過ぎない。
 じぶんの気に喰わないものには、無条件で断罪されるべきであり、どんな嘲りも赦されるというのがかの女の見解なのだろう。

 

ちょいと金があると、顔を直して句会三昧。その金を、難民の子供たちに寄付したら、もっと美しい顔になれるのに。

 

 こういったものを得意気になって書き込む神経をわたしはただしいとはおもわない。かの女は作家とはいえないし、ブロガーか? いったいなにを生業にしてるのかもわからない。谷内氏も才能や読みは大したことがない、読むべきものがない(だからこそ、よりによって九条護憲本なんかをだすのだろう)。ただいえるのは、味方になる気もないくせにわたしに馴れ馴れしくちょっかいをださないでくれってことだ。

 かの女はfacebook上にて頻繁に衝突を起すらしく、blogにおいては下記のように書いてる。 

 

数年前に奥さまがお亡くなりになったと書かれていたが、そのわりに、「配偶者の死」の前と後で、そのバブリーな書き込み(あの店にいった、これをごちそうになった、「会合の前にビールをいただいていった」(一杯ひっかけていってもOKな会合って、どんな会合だ?笑)、あれをもらった……てな書き込みばかり。

kumogakure.blog.so-net.ne.jp


 けっきょくかの女が問題にしているのは相手の倫理であって、それ以上ではない。SNS上で語ったことでどうして相手のすべてを決められるのか。そこに書かれてあるものがほんとうである保証もないし、そこに書かれてあるのがそのひとのすべてでもない。あくまで一断面に過ぎない。何倍にも拡大解釈し、あるいは曲解し、個人の心的領域まで土足で上がり込んで踏み荒らしている。そんな権利はだれにもない。


「辛い人生」と、あえて自分で言うか(笑)? それでは、シリア難民や、ユダヤ人絶滅収容所の生き残りは、どうなるのか? そういう辛い経験が、人をまっとうにするのではないのか?


 要は《世界的に報道される悲劇に較べれば、おまえの悲しみには価値はない》というわけだ。シリアやユダヤにやたら肩入れしているが、そんなものは自己満足に過ぎないし、それを持ってきて他者への攻撃に使用するのはまっとうなことではない。倫理や道徳、あるいは作法、言葉遣いについて意見をするのはわるいことではない。ただその目的のためなら、どんなことをいってもかまわないということにはならない。

 

詩人が読み解く自民党憲法案の大事なポイント 日本国憲法/自民党憲法改正案   全文掲載

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憲法9条改正、これでいいのか 詩人が解明ー言葉の奥の危ない思想ー

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リッツォス詩選集――附:谷内修三「中井久夫の訳詩を読む」

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 もし最初の反応にわたしが平謝りするか、受け流してたら、ここまで拗れはしなかったとおもう。あまりの暑さでいまおもえばおかしかった。実際かの女としてもちょっと懲らしめてやろうぐらいだったのだろうけど、そいつを跳ね返したためにばかげたことになっちまった。かの女としてわたしに裏切られた、騙されたとおもってるのだろう。たしかにわたしはかの女の評価に値する人間ではなかったというわけだ。おそらくかつて評価をした相手が実は希死念慮を書かれた30男で、がっかりし、そいつを認めたことが羞恥になった挙句、件の投稿によって憤満が爆発しちまったんだろう。

 

 中田 あなたがなぜわたしの書き込みを観察しているのかがわからないですね。もっと精神栄養になるような存在がいるのではないですか。この「日記風」の語りには大した意味はないです。わたしは親とは前縁されてしまっているし、どこに棲んでいるのまかも教えてはくれません。しかし、それは自業自得のことで、どうしようもないことです。《しかし実家はそれなりに支えてくれているほど貧しくはない》という文言の根拠なんでしょうか。世間に対して不満というよりは、それについて行けない自身への羞恥や焦りや不安です。わたしを支援してくれるひともいるが、それは地域の障害者支援だったりで、ここで繋がっているひとびととは、ほとんど対話もなにもありません。4人のうち二人とは実際に会っていて、そのうち1人とは14年ぐらいのつき合いがあります。支援については直接感謝を伝えているので、なぜここに表明する必要がとおもいます。
 わたしの余生がどんなものか。それはあなたには関係のないことだ。ただいえるのはシリアに眼を向けるにはそれ相応の暮らしの安定と当事者意識が必要だろうということです。そういった紋切型の諭しには辟易しています。あなたの主観ありきでわたしの内部を決定されてもわたしには答えようがありません。
 けっきょく山下さんもじぶんより劣った存在を嘲笑したいだけなのではないのでしょうか。わたしはたしかに劣っているが、だれにもわたしを嗤う権利などない。わたしはただ自身に付随する問題を試行錯誤しながら解決しようとしているだけだ。相談できる相手が身近にいればいいが、いないからひとりで考えたり、動いたりしているだけです。それがまちがっているというのなら、山下さんが今后もわたしに対して「観察」し、主観とおもいこみで書き込みをされるのであれば、わたしは拒絶します。

 

 山下 世間に何十万といる障害者の方が迷惑するんですよ。あなたみたいなのが、障害者だといって、世をすねたことばかり言っていると。私は好奇心が強いので、ほかのところも覗いています。それでブロックされることもありますけどね。ブロックすると、相互が見えなくなるので、極力ブロックはしません。ご迷惑なら、どうぞ、そちらでブロックしてください。はっきり言って、あなたみたいなクズを告発したからといって私には、なんの利益もありません。見て見ぬふりもできましたが、多くの善意の方々が、「騙され」ているような気がして、あえて、公共のために書き込みしました。

 

 中田 うぬぼれが激しいね。公共のために? 私憤と義憤の区別もつけられないではないか。「多くの善意の方々」とはだれなんだ。わたしのこの場の書き込みよって利益を得たこともないし、騙してもない。他人は他人だ。 障碍認定がある以上、わたしがそれを明らかにしようが、それはわたしの自由意思だ。たしかに迷惑な言動があることも事実だが、わたしはそれについて改善しようとしてる。あなたがあなただけの倫理観や正義感を満足させるために「世間」とか「障害者の方」、「多くの善意の方々」、「公共のため」だとか、目に見えない、あやふやで、定義しようのない総体をだして非難するはやめろよ。それは卑怯だ。いい加減主体をはっきりさせようじゃないか、山下個人の感情が出発点なのか、それとも特定のひとびとがわたしに意見があるのか。あきらかに主体はあんたの個人的感情のみだ。谷内もそうだが、あんたら印象でしかものがいえなんだ。じぶんが正しいものは不特定の多数にとってもそうであるという論法でしか考えられないんだよ。読めないやつには書けないし、書けないやつには読めないんだ。騙されたとおもってるのは「多くの善意の方々」ではなく、他ならぬあんただ。だから被害者としてわたしを断罪するというわけだ。しかし他人の倫理を問題にする以上は、じぶんのも問題にされねばならず、それを拒否するというのならダブルスタンダードでしかない。

 

 山下 あなたには関心ありません。善意で親切にしている人々が気がついてくれることが目的です。いつまでも恨み言を書いてなさい。私はほかにやることが山ほどあるので、もう関わり合いません。私が関わり合わないと言ったら、関わり合わないんです。あんたとは違いますからね(笑)。

 

 中田 じぶんからひとに絡んで、じぶんから撤退宣言なんともご自由ですね。そして相手が受け入れなければ、義憤にすり替える。うらやましいかぎりです。ぜひその「善意で親切にしている人々」を全員引き取ってください。わたしには分不相応です。ではよい週末を

 

 けっきょく山下氏は表面的な読みしかできないので表面的にしか書くことができない。上辺をなぞるうまいが、そこで終わってる。だからこそかの女自身の言動に根拠与えるのは「世間」や「善意で親切にしている人々」や「何十万といる障害者」などかの女の内側の存在だけなのだ。どうにもかの女のなかにはあるべき障碍者というのがあるらしい。それに適合しなければ名乗ってはいけないということだ。そういった考えこそが差別でしかない。

 以前、「文学極道」にて「あなたの存在にうんざりし」と名乗る人物から非難をされた。その人物も相対貧困などいうものを否定してるらしく、《アフリカに比べれば》とか《自分は年に数百万単位で寄付をしている》などと宣ってた。イメージのなかの絶対的弱者あるいは数字のなかのそれには敏感だが、眼のまえの存在にはどうしようもなく認識が弱い。かれかの女みたいな人間から見れば、大抵の人間は「自己責任」で片づけられてしまうだろう。

 あとでかの女のタイムラインを見ると、そうとう据え兼ねているようで、でかでの文字投稿でわたしについて書いてた。

 

中田某氏に同情している人々が、騙されないのが目的であって、氏にはまったく関心ないので、これで終わりします。


何者でもないからバカをケナしているとか、自分は何を言われてもなんとも思わないです。ほめられたいと思ったことは一度もないからです。

自分はどんなことを言われてもなんとも思いません。そういう訓練をしてきたからです。世間の人々のために動きます。今回は、善意の人々のため。

 

日本には、成人の(身体+精神)障害者が600万人以上います。それらの人々の何人がFacebookで喚いてますかね? こういう方々が迷惑します。バカがいると。

 

 最初のコメント、メッセージ、シェアでの文言を見るかぎり、かの女がはじめから外部要因などのために書いてないのは明らかだ。ただ苦しまぎれに虚言を弄してる。ほんとうに啓発したいというのなら、その軽い調子で書かれた第一声およびシェアの文言を改めてはどうか。そして中田満帆という人物がいかにしてひとを騙し、世間や障碍者に迷惑をかけようとしてるかを解説するべきだ。

 感情や表面でしか読んでないものだから上辺にあるものしか読み取れないし、書くにあたっても上辺を撫でただけ、あるいは自身の感情や偏見によってゆがめられたものしか、かの女の文章にはない。批評でも分析でもない、文学的装飾のついたおもいこみでしかない。そこは谷内修三の詩の読みとも低通してる。

 まったく関心がないのにブログで言及したり、まったく関心がないのに投稿に絡んだり、まったく関心がないのに挙げ句の果ては人助けまでする。なんて情熱的な御仁なんだ。 かの女の行為になんの意義があるのかはわからない。まあ、ただおれひとりをいなくなって600万人が助かるのならいいかも知れない。同情? 善意のひとびと? 会ったこともない、なまえも知らない障碍者? かの女の投稿に「いいね!」を入れてる男たち──そんなもの、もちろんおれの知ったことじゃない。

 

つづき→「愛と人道の裏側で──ぞく・山下晴代に寄せて」http://mitzho84.hatenablog.com/entry/2017/07/31/194333?_ga=2.55251823.511948895.1590575363-1974940982.1544014202 

チャールズ・ブコウスキー「パルプ」1994年

チャールズ・ブコウスキー「パルプ」新潮文庫(旧版)・ちくま文庫
Charles bukowski "pulp" 

1994

Pulp

Pulp

 
パルプ

パルプ

 
パルプ (ちくま文庫)

パルプ (ちくま文庫)

 

 


 チャールズ・ブコウスキーのなまえを知ったのは、神戸市図書館の分所だった。そのころは、うだつの上がらない派遣仕事をやって日を喰い潰しながら過ごしていた。最初に手にとったのは、「町でいちばんの美女」と「勝手に生きろ!」だった。短いセンテンスで語られる素直な文章に惹かれた。けれど本を読むには暮らしがわるかった。わたしは作者名をあたまに刻み、建物をでた。
 それからしばらく経って大阪は芦原橋へいくことになった。公園に寝泊まりしながら暮らすなか、ようやく見つかった仕事のあてだ。けれど飯場に来てみれば連日、雨。あるとき、「京都で茶摘みの仕事がある」といわれ、わたしは高槻の飯場に移った。そこでも仕事はなかった。わたしはくそ高い丘のうえから、毎日散歩にでた。その途中に図書館があった。なにもすることがなく退屈していた身にはうってつけの場所、そこでブコウスキーと再会した。本のなまえは「パルプ」。素っ気ない表紙に赤紫の文字。そいつを借りて飯場の室で読む。わたしは24歳だった。

 「パルプ」は'91年に書き始められ、'93年春、白血病の診断によって中断、'94年、死の直前に出版された、ブコウスキー最后の長篇小説だ。かつてパルプ雑誌で旺盛を極めた探偵小説というジャンルを、ブコウスキーは冷たく嗤いながらからかっていく。
 主人公はニック・ビレーン。ロスアンゼルスの自称スーパー探偵だ。太っちょで、酒と競馬に依存している。独逸の拳銃ルーガーP08を所持。いつもダービーハットをかむってる。女とはほとんど無縁。かれには三つの依頼がある。ひとつは赤い雀を探すこと、もうひとつは死んだはずの作家ルイ・フェルディナン=セリーヌを探すこと、女宇宙人ジーニー・ナイトロを始末すること。もちろん、こんなことはでたらめでしかない。いちいち書いてもきりがないから、やめとく。とにかくこの小説を読んでわたしは笑った。とくに酒場でのいざこざの場面がいい。科白といい、人物といい、なにもかもが。


 「メアリー・ルー!」大声がした。「そこのケツの穴、お前に嫌がらせしてるのか?」
 バーテンだった。ゲジゲジ眉毛のチビな奴だ。
 「大丈夫よ、アンディ。こんなケツの穴、あたし一人でさばけるわ
 「そうとも、メアリー・ルー」俺は言った。「いままでずっと、ケツの穴ならいっぱいさばいてきたもんな」


 この小説の凄みは「来るべき死」の予感を逃げずに書いているところだ。それもユーモアを込めて。弱さを隠さず、素直さのなかで死んでいくことによって、ビレーン及びブコウスキーはその人生を全うした。自殺体質を自称し、死を意識しつづけた詩人兼作家の極点がそこにはある。確かにある。
 ちなみに「ワインの染みがついたノートの断片」に収録された'90年の未収録作品「もう一人の自分」は、この長篇におけるいくつかの部分を先行してる。謎を追う主人公、超自然的な存在、奇妙な犯罪譚。

 

パルプ (新潮文庫)

パルプ (新潮文庫)

 

 

 だいぶあとになっておれは新潮文庫版を手に入れた。ゴッホ今泉のイラストがいい。そういえば高校生のころ、こいつを本屋で見つけて手にとった。実際に読むまでになんと時間がかかったことだろう。わたしはおもいだしてこれを書いてる。
 ところで高槻の仕事はまっく金にならなかった。寮費でマイナスになった挙句、わたしはトンコ。いったん三宮へいき、そのあとは1ヶ月舞台役所に見習いみたいなことやり、あとしばらく大阪と兵庫を行きつ戻りつしただけだった。きょうは文無し。だからしばらくあいだドカチンでもやって喰いつなごうってわけだ。

かつての、かつての、

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from a jack-off machine#05[end]

 

 あたらしいものが書けないとき、かつてのものを読み返す。どれもこれもひどい。たしかにぼくの書くものも、内面も、暮らしぶりも、過古よりはずっとよくなってる。おととしよりも去年、きのうよりもきょうというぐあいで、前進できるてるっておもうことも。それでもすべてがよくなってるわけじゃない。わるくなるだけのことだってある。そういったもろもろに対してぼくは無意識に防禦してしまい、まったくの明き盲なところがいまもある。なにもわかってないのをさもわかってるふうにしてしまうところがある。きょうはそれをもっとはっきりと捕えたい。
 たとえば「from a jack-off machine」という、かつての連作の散文を読み返す。第1回を書いたのは、3年まえの'14年3月で、当初はブコウスキーの「note's of a dirty old man」みたいなものを書きたかった。息の長い文を書くための訓練として書き始めた。実際書きあげられたものは下手なモノマネで、無意味に攻撃的、いきり立った、余裕のない駄法螺だった。最初から最后まで《おれは凄いんだ、おれはまちがってないんだ!》とわめき散らしてるだけのものだ。正直、葬り去ってしまいたい。けれどもぼくはいい加減、自身のやって来たことを直視したい、そうおもってる。ぼくは齢をとったし、からだも衰えてる。これ以上、おなじまちがいは冒したくはない。
 あのころは、そうとう気が立ってた。過古のことでずっと怒り、悲しみ、悔い、それをやっつけようと作品をつくってた。歌ものをいくつかつくって室でデモを録音した。ライブにも数回あがった。なんとかして名をあげたかった。名声が欲しかった。終わってしまった20代や、恵まれない自身の境遇に勝ちたかった。もちろんのこと、そんな目論見はぜんぶやぶけてしまった。なにをやっても、初恋のひとにも、かつての馴染みたちにも赦されないばかりか、生活の糧にもならないということをわかってしまった。
 ぼくはいびつな家庭に育った。しかも先天性の障碍──自閉症スペクトラムADHDアスペルガー症候群──のためにひどい無理解と誤解と齟齬のなかで生きてきた。もちろんそれらを悲劇化するつもりはない。診断されたのはここ数年だし、大したことじゃない。問題は後天的なことだ。いびつな家庭と学校教育のために二次障害を起し、アルコール依存症になり、それがいまもぼくを苦しめてる。対人関係の問題、境遇の問題はどんどん大きくなった。25歳からは健康問題がふくれあがって、身動きもとれなくなった。かつてのことを悔み、嫉み、だんだんとぼくは憎しみを募らせた。父も母も、姉妹も、祖父母も、教師も、幼馴染も、同級生も、すべてが敵だった。

 '11年、それまで閲覧するだけだったBという文藝サイトに書き込みをはじめた。住所不定のぼくは虚勢と罵倒と居直りの手練手翰を学んだ。いろんなひとびとを罵った。みずからの実名を曝してだ。そしてそれが板についてしまった。まちがった認識のなかで、次第に人生が壊れてった。
 '13年、ぼくは四度めの急性膵炎で入院した。そのとき、古本の恋愛小説をもってった。病床で過古の恋についておもいめぐらした。23のときの子には会えない。高校のときの子にも。──でも小中学校のときの子には会えるかもしれないとおもった。かの女は初恋だった。退院後、ぼくはフェイスブックでかの女を探した。でもけっきょくかの女とはうまくいかなかった。ぼくには他社の気持ちをおもいやるということができなかったからだ。無分別に希死念慮を語ったり、かの女の男友だち──かつてぼくを虐めていたひとたち──を攻撃したり、挙句に冷たくされて、幼稚な怒りを露わにしたりで、かの女は沈黙してしまった。ぼくはその沈黙に耐えきれず、過古のいじめを蒸し返して、多くのひとを責め、罵った。それを心あるひとに注意されれば、卑怯な弁舌で交わし、真正面から答えなかった。昼も夜も酒に浸り、悪態をついては、醒めて正気に戻るというありさまで、かの女や、いじめっ子たちのことを実名あげて罵っては書き込みを削除していた。
 ずっとぼくは弱いじぶん、うろたえるじぶんを覚られまいとやって来た。一般のことがなにも知らない、わからない、そんなじぶんを庇いつづけきた。なにもわからないじぶんを隠すことでいっぱいだった。怖かった。相手を見下して攻撃しつつも、そんなことで満たされないのを知っていた。

 ぼくはひとの機微がわからない。ふつうのひとびとの生き方がわからない。ひとの気持ちが読めない。じぶんがなぜこんなにも過古に拘るのかがわかってない。けっきょくはいま現在がうまくいってないからだ。ほんとうのことをいえば、ぼくには知性も教養もない。タフじゃない。やさしさないから生きていくに値しない。ただ無意味にじぶんを正当化しながら、怒りや不安、見当狂いな諧謔に刈られてひとを攻撃してるだけだった。なにもかも言葉遊びだ。
 ほんとうのぼくは弱い。ぼくはもう33歳だ。髪は薄くなったし、筋力は衰えた。来月には形成外科で検査だ。いまもまだ初恋のひとを夢見る。かの女に逢いたいとおもいこともある。でも、それはただの未練と執着だ。いまでもかの女の顔も声もおもいだせない。長年の飲酒癖で、細かい記憶は薄れている。もし早いうちになんてこともない、普通の会話ができていたら、いまこんなに苦しむこともなかったろう。

 《ひとを傷つけるひとはきらい!》──3年まえにかの女がいった。そうだ。ぼくはかの女を、かの女のまわりのひとびとを傷つけた。あのとき、「ぼくが傷つけた。ぼくは傷ついてない」と虚勢を張った。

 けれど、たとえ過古になにがあろうが、自身の境遇がどんなものであろうが、やっていいことと、わるいことがある。そしてぼくのやったことはまちがっていたし、ぼくの書いていたこともまちがっていた。考え方も手法もでたらめなまま、多くのひとに迷惑をかけてしまった。そしてぼくは自身の言動によって、いまもおもい悩むときがある。自業自得だ。たったこれだけのことに気づくのに4年もかかってしまったのだ。けっきょくは社会性の欠如ってだけだ。
 とりあず、でていこう。──もっと忙しくなろう。留まっていては、持て余していては碌なことになりはしない。わるい考えに足を捕られてしまうだけだった。それもごくごくあたりまえのこと。あたりまのことに気づいただけだった。

 じゃあ、また。

   

33回転/半生タイプ

 

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   ○

 

 きょうでおまえは33歳だと、神がほざきやった。どうりでおれはふんづまってるわけだった。通りは穏やかで、どこまでいっても夜だらけだ。なにをやるか、なにを書くか、まったく定まらない日がつづいてる。引っ越しはできなかった。もう1ヶ月早くうごいてればいいものを、なにもしないままで終わらしてしまった。またぞろ予定の立て直しだ。今月は室と仕事を探す。絵葉書をつくる、ホームページをつくる、このブログを収益化する。ぜんぶできるのかは知らない。そんなことは知らない。ともかくできるかぎりというわけだ。
 それでもおれのわるいところは、競馬で喩えるなら多点買いのトリガミといったところだろうか。できることなら1日1日、ひとつのことだけをやっていれば成果だってでるというのに、生来の飽き性か、ADHDのためか、選択肢を増やし過ぎてなにもできないことが多い。きょうは脱毛症のことで医者にいった。薬について聴く。けっきょくは高額で断念する。そろそろ若禿まっしぐらかも知れない。金もなく、からだもわるい、頭はいかれてるし、おまけに見てくれもひどいと来た。この世にいるべきか、別の世界にいっちまうほうがいいのか、正直悩む。どっかの辺境、第4か、第5世界あたりに飛び去ってしまいたくなる。嗚呼。


   ○


 ところでおれは《ローハイド》でのバーテン見習いをやめちまった。大した顛末もない。4月のある日、グルメ雑誌「ダンチュウ」の記者とカメラマンが来て店を取材した。それが終わったあとオーナーは唐突におれにコースターを見せて、そのデザインはどうかと訊いてきた。おれは素直に首をふってしまい、それがかの女の怒りを買った。わるいことにおれは弁解をしなかった。かの女は見苦しいままにおれへの憤懣をほかの従業員に浴びせた。おれのすぐそばで、おれの聞える、見えるところでである。こういった女は醜い。おれに文句があるのなら、直接いえばいい。
 「おれならここにいますよ」
 かの女がふりむく。
 「ええ、知ってます!」
 「だったら、おれに怒りをぶつければいいじゃないですか?」
 「あなたが聞かないから、ほかのひとにいってるのッ。あなたは失礼ですッ。ここはわたしのお店であなたは従業員。それがわたしに意見するのはまちがってるッ。」
 「──たかがコースターのデザインぐらいで」
 「あなたも絵を描くんでしょうけどね、お金にならなきゃ意味ないのッ! あれがプロのデザインなのッ!」
 「だったら、おれにどうしろというんですか?」
 「あなたのセンスでコースターつくって来てッ!」
 なんだってこんなことになってしまうのか。おれは頷くしかなかった。未亡人はでていき、おれはひとり黙って流しのものを洗った。とにかく洗えるだけ、洗った。
 「起こってンのか?」
 マスターのH氏がいった。かれはおれよりひとつしたで、子供がふたりいる。長身痩躯で独特の体臭をしてる。
 「少し。──あまりにも理不尽でね」
 「耐えなあかんで」
 5月はじめての休日、おれは店に未亡人に電話をかけた。おれは酔って怒って、電話口でかの女を罵った。最后の給料と受取り、くそったれなブルックスのシャツを返して辞めた。土台、バーテンダーとして店をかまえるつもりなんざない、生活保護ぎりぎりの賃金で働くつもりもなかった。

 

   ○

 

 からだについてはあまりよくない。来週あたり、またも香川医大にいく予定だ。漏斗胸の治療についてはずいぶんな勇み足をしてしまった。ナス法は瑕を残さないという点ではいい。けれども二度の手術や、再陥没の危険を考えればとんでもないことだった。運動や寝起き、咳などにいつも不安を抱きながら過ごすというのはやりきれない。ふるい術法でいいから、もっと確実なものにしとけばよかった。焦って誤るのはいつものことだ。

 

   ○

 

 

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   ○


 これからはもっと慎重にならなくてはいけない。おれ自身の1日に、おれ自身の経済に。金が入ったから遣うではどうしようもないくずのまんまだ。環境を変えよう。生活を整えよう。遣うのはそれからでいい。あとは1日1行でも、1筆でもいいから、みずからの作品をものにすること。


 これからの予定若しくは願望:

  仕事を決める。
  保証人不要の物件に引っ越す。
  8月に青森県三沢市へいくこと。市街劇を見たい。佐々木英明さんとお会いしたい。 
  ライブにでる。


 そんなところで、
 おれはいま33回転で、
 半生タイプの中年男というわけだ。

 


 わかるだろ?

 

光りに焼かれつづける、うち棄てられた冷蔵庫のブルーズ

 

 


 八月のこと。ちいさな建屋の、自動車修理解体工場のまえ、うづたかくされたもののあいまをぬうようにしてかれは冷やされた緑の、その露をなめてる。とにかく舌が乾いた。うしろになにかが立ってる。ふるい冷蔵庫で、あけはなたれたとびらをむこうにふるい、ダイヤル回転式の黒いやつ。受話器を手にとってかれは話しをしてみる。
  やあ、おれだよ。
  うん、そうだよ。
  ああ、そうさ、でかいやまをあてたんだ。
  いまに好きなことができるぜ。
  えっ?
  サツだって?
  それはないね、おれのことはだれも知らない。
  ああ、それは聞いてる。
  でももんだいはない。わかってる。
  お願いだ、きょうは一日じゅう、赤いのを着ててくれ。
  じゃあ、頼むよ。──また遭おうぜ。
  しばらく潜んなきゃ。
  じゃあ。
 そのまま切って倉庫へ引き返した。れもんの若木が子供をもぎとられた女になってる。集まってくる男たちはみな、かれに冷たかった。
    逃げたんじゃねえかとおもったね。
  祷ってたんですよ。
     神を信じてんのか?
  いえなにも。
    じゃあ、なにに祷る?
  この朝に。
   ふざけるなよ。
    おまえのせいで豚にされるのはいやだからな。
 支度を終えて四人は車へ乗りこんだ。商品広告を載せたラッピングの白いバン、みな黙り、せかせかしたようすで莨を取りだす。いっせいに吸いだした。車庫の脇に植わった木が風で泣き、飼われてる犬が眼を醒ましはじめた。臆病な空気がそのへんに立ち込め、あるものは鼻を覆った。
   おい、大丈夫だろうな?
 助手席に坐った老人が青年へいった。ビーディーを吸い、うつろなまなざしを朝日に向けていた。唇が分厚い。いちばん年少の二十七だ。
  もちろん、だいじょうぶです。
 その声は昏く、にぶいひびきがある。老人はなにかものを呑みこんだつらで、それを聞き、出発の合図をした。
   どうなってもみんな一緒だ。
 信じなかった。いつもみんな先にどこかへいってしまう。五月の終わり、じぶんのもとに届いた郵便をおもう。なかに詩の雑誌と入選を知らせる紙片が封入されていた。それを救貧院の事務室で受け取って、その場であけた。選評にはこう書かれてあった。

 
 カポーティの短篇小説を読んだことがありますか? その一節を描いたような魅力的な作品。特に第二連目。「汚れ」も、ある特定の精神に触れ言葉になれば、美しさに変わる、そんなことを思わずにはいられなかった。


 カポーティを読んだことがない。その来歴と写真を見たに過ぎない。作家はかれの生まれた年に死んでいた。かれと同じくアルコールを呑みすぎていた。かれの知能指数は百にも満たなかったが、作家のそれは二百十五あった。
 いくつかの作品についてあらすじを調べた。じぶんの棲むところとの遠い距離を感じ、当惑を憶えた。楽しめそうには思えない。かれは一年も職に就いておらず、ほとんどのものから孤立してた。
 発進する車、そのゆさぶりを慈しみながら、おれはこんなものごともやがて美しさに変えてしまうのだろうかと思った。なにも書かずにすむのなら、それがいちばんの救いのはずだ。書いてしまうことで本来、きれいだったものを醜く、穢れきったものを美しくかざりたててもしまうのだ。
 もぐらびとたちはいごろ、どうしてるだろうか。またあの臭気のなかで眠りをむさぼってるだろう。こうなってしまえば、おれだってそうしたい。
 きっかけは町にいるときだった。声をかけてきたのは老人のほうで、かれはやせぎずで、乱れきった髪をハンチングで隠しきれないまでに隠そうとしてた。しろいもみあげがいたいたしくみえる。
   ここらに棲んでるのか?
  はい、あそこの施設にです。
   いい仕事があるんだが来ないか?
  無理ですよ、門限があるますから。
   何時までに?
  八時までにです。朝は六時半から。
   そっか。でも考えてくれよな。実入りはとにかくいいし、若いのがいるんだ。
 かれのなまえや実家について訊きだすと、老人はスーパーを越えてどや街のほうへ入っていった。歩道の柵に洗濯物がかかってるところをかれはみる。しばらく日に焼かれながら。それが去年の秋口だった。春になってかれはアパートメントの一室を与えられた。居宅生活訓練といい、生活保護に値するかをみるのものだった。室はふるい色町のなかにあった。戸口をひらけた屋が何軒もならび、坐った女のひとの隣りで、年寄りのが客引きをしていた。──おにいさん! いかが! 日に渡される千円ではそんなところにはいけない。なにか悪いことをしたようにいつも声を通りすぎてた。
 かれがそこを追い放たれたのはとある電話のせいだった。その日は朝から呑んでて吐きちらかすてまえにきていた。ゆうぐれどき、ほんのおもいつきでダイアルに手をかける。師事している老作家にだ。その声は冷め切っていた。
    で、──なに?
   作品送ったのですが。
    ああ、届いてるよ 
   どうでしたか?
 少し間があった。それから堰を切る、そのものだった。
    どうでしたかじゃないよ。
    あんたはおれに破門してくれって書いてきたんだぜ?
    そんなやつがどうでしたか、なんてよくいえるな!
    あんなきたならしい詩なんか送ってきやがって!
    あんたはどうしてそう品がないんだ?
    詩なんか猫かぶりでいいんだ!
    あんたは酒に溺れてどんどん品がなくなってる。
    あんたそれが自分でもわかってるだろ?
    それをなんだ、三流雑誌に載って、
    へんな女からわけのわかんない評がついたくらいで調子に乗るなよ!
    あんたはみんなに迷惑かけてるんだ、
    おやじさんにもおふくろさんにも姉さんにも妹たちにも施設のひとにも!
    あんたは本当に家へ詫び状送ったのか?
    あんたうそつきだからな、あんたの書いたことなんてひとつも信じられない!
    あんたは姉や妹たちが嫁げなくなるようなものを書いて平気なのかよ、
    だったらいますぐに死んじまえよ!
 おれは品のないろくでなしでうそつきだとかれはおもった。はじめからからねじくれてる。かつておれに品があったとはおもえない。ただ化けのかわがはがれてきたのだ。飯場を転々としたり、空き家の車庫で寝たり、公園で暮らすようなことがなければ、もう少し品があるように装いつづけることができたかも知れない。でも遅かった。だから黙って聞く。
    あんたをおれを老いぼれって書いたけどな。
    酒なんか呑んでるあんたよりも、
    おれのほうがよっぽど脳は若いんだからな!
    おれはいま中国の詩人の研究をしてるんだよ。
    あいつらはな、ちょっとでもまずいこと書いたら殺されちまうんだぜ!
    あんたなんかな、本当ならもうおしまいなんだよ。
    あんた、なんであんなことを書いたんだ?
    あんたはおれに褒めてもらいたくて詩を書いて送ってきたのか?
  ええ、そうです。
  甘えていました。
    そうだろう。甘ったれてただろう。
    あんたがおれについてとやかくいうのは許すよ。
    それは許しますよ。
    だけどな、あんたが先生についてくだらないこと書いてみろよ、
    おれはあんたのことを探しだして殺しにいくからな!
 作家とはじめてあったときのことを思いだしてた。老作家はいった。詩人は品のいいやくざだと。かれには義理も人情もない。じぶんを突き放す度胸もなかった。
 詩人はしゃべりまくり、とんでもない勢いで言の葉を放った。おれにはとてもそんなことはできない。おれが憶えたのはけっきょく言葉の模造品だ。本と映画と音楽によって育まれたつくりものに過ぎない。ひととの交わりのなかで培い、養ってきた人間に敵うはずはない。ただ聞いてるしかなかった。
    おれはあんたをいったん破門するよ。
    あんたがもしも先生について、
    あなたにしか書けないようなやつを本一冊分書いたら許すよ。
    できなかったらそのままお互いに忘れましょう。
 電話を切ってからチューハイを干した。できることはなにもない。そのままかれは救貧院にいったらしい。よく憶えていないが、夕食の予約を入れてたから、それを断るわけにはいかないし、あまり酔ってもいないとおもってたらしい。
 あっというまにあらわになって、かれはその夕べのライスカレーも、千円の支給もとめられ、すぐに実家へと送還された。
 それは山のてっぺんにあった。高原と呼ばれ、まわりにはなにもない。バスも列車も、商店も、自動販売機も、浮浪者も、娼婦も狂人もなかった。日課といえば寝てるところを父にけられることだけだ。そしてたまに金を手に入れては酒を麓の町まで買いにでかけることだった。
 ある夜、とんでもなく酔ってた。かれは母に怨みごとをぶっつけ、いちばんしたの妹を撲りつけ、木椅子で祖母の仏壇をはでに鳴らした。それから電気で死のうとおもいたって、どうやるかを考えてるうちに眠ってしまった。嘔きだしたもののうちでだ。つぎの朝、夜勤から帰ってきた父にこっぴどくやられた。荷物をすべて燃やされ、かれが密造してた口噛酒が室のそこらじゅうにばらまかれた。それはかれ自身にも注がれた。
 その夜電話があった。老人からだ。
   生きてるか?
  死んでるほうがましでしょうね。
   金儲けはすぐそこにある。ついてこいよ。
  のったよ、じいさん。
   その調子だ、兄ちゃん。
 つぎの朝にはもう町へでてた。父の金をくすねて追い放たれたところへ。かれはまず、もぐらびとたちの巣へ招かれた。戦前からある地下道で、もとは水が流れていたらしいところだった。かれらはそこで暮らしてた。小舟のようなねぐらをならべ、ときおり流れてくる、不法投棄に備えてる。浅い汚濁のながれと豚のようなねずみが、あたりを飾ってて、かれは鼻を覆って耳をすます。
 老人が声をかけずとも、七人の男たちは舟を降りてきた。みないちように表情がない。くらい両の眼がぼくを見てた。
   こいつだよ、飛田に棲んでたっていうのは。
    若いくせに保護かよ。とんだくそやろうだな。
      聞いたことあるぜ、いまじゃあ、将来性のあるやつを受けるって。
        でも若いからってさきがあるとはかぎらねえ。
        男なんてせいぜい十代のうちに底が見えてら。
    少なくともこいつには、ないだろうな。
   そう突っつくなよ。せっかくのやつなんだからな。
        せっかくやつがこわされねえようにしねえとな。
 わらいのないわらいを聞いた。ややあって老人は全員のなまえのみを明らかにした。しかしかれは自身の来歴について証言しなければならなかった。産まれの土地から、学校や集まりへの遠ざかり、倉庫や飯場での流れようなんかをだ。
         どもりがあるな。すこしだが。
  ええ、そうなんです。
        そうなんです、だとよ。
          まあ、よしとしよう。
         そうだ、よしだ。おれと似てるらしい。
   よかったな、きみ。
 老人の手が背中にかかる。その日は老人の知り合いの家へ泊まった。自動車修理解体場で、中心街からはずいぶんと遠い。列車に揺られながら、おもてをみる。灯しはすでにまばらになってた。
 挨拶も控えめにかれらへあたまをさげた。三十代の夫妻だ。夫は肥えすぎで、妻のほうはといえばやせすぎだ。ほとんど肉を感じさせない。眼が鋭い。でも美しさと品はあった。
 食卓におかれた作業手袋を棚へはらってから、妻は料理をならべだした。かの女は午、修理を請け負い、夜には女房にもどった。看板はない、広告もださない解体と修理、ここには車体のほかにもきずをもったひとたちがくるらしいと察することができた。具の乏しい汁ものを妻は好み、夫は肉と脂を噛み砕いてる。そうしながらかれの来歴を聞く。老人がそれを飾って、ことさら信用のある人物にみせかける。
   あんたは広告貼りの格好してそこらをぶらついてくれたらいい。
   わしはビラ配りのふりをしてたっているから。
   車が着たらまずは警備員をよく見ろ。
   やつらが金の入った鞄をだしたら、
   おまえは糊のデッキブラシをそのつらにぶちこめ、
   おれは鞄を奪う、
   それで一緒に車に乗るんだ。
 どっかで聞いた場面だなと思った。おもいだしてみるとそれは映画だった。不良少年とフランソワ・オランのはったヤマ。映画はいまいちだったが、ジョゼの原作はよかった。吹きだしそうになりながら喰ってた。あまりにばかばかしかった。でも、それがいいのかも知れない。
  七人でやるには多すぎると思いますが。
   これから削ってくんだよ。
   あの全員が使えるとおもうか?
  それでいつやるんです?
   再来週の金曜日、その午后だ。
 ふたりして倉庫の屋根裏に寝ころがった。二十三時、夜が長いとおもえば、もう酒のないことにふるえるような温さがみえた。それでももうじき、火曜日になる。 
 翌日からずっと工場の片づけをやらされた。草刈からはじめて機械の配置換えや、車体の移動にあくせくする。肩がわれるようになってるのを主人はなにもみえないようにふるまい、溶接機やら薬液の罐やらを転がすように運んでった。仕事が終わって湯を浴みてると、夫人が来て扉越しに声をかけてきた。
   たいへんでしたでしょう?
  ええ、こたえますね。
   主人にはああすることしかできないのよ。
  そうなんですか。
   ええ、わたし脱出したい。どこでもいいから。
  してしまえばどうです?
   むりなことよ。
 それきり声はなく、かれはシャワーをかけつづけた。すると工場から声がした。それは犬の叫びに近い声だ。──おい、いいかげんに湯をとめろ! むだづかいするな!
 それに従って食卓にいった。きのうとおなじものがそっくりでてきた。  
   どうしたの? そんな顔して。
    こいつには根性ってものがないんだ。だから少し動いただけで青ざめる。
 主人は肉をとって頬張った。かれには与えてはくれない。
    どうした? 文句でもあるのか?
  いいえ、なにも。
    気に入らないつらだ。
    あいつはなんでおまえのようなやつを釣ったんだか。
  わかりません。
    いいか、わかりたいのはおれなんだ。
    おまえじゃない。
    おれの考えに入るな。
  すみません。
    たやすくあやまりやがって。
    さっさと喰って失せろ。
 衣服に染みこんだ、草や油の匂いをそのままにして寝床へ坐った。灯りの絞ったランプに本をひらき、てきとうにめくる。──おれに言わせりゃ、おまえはしゃれた女たらしってとこだ、とレネハンが言った。
 このやまがもしもうまくいったらまずは女を買いにでかけよう。あの色町にいって垢を落としてやるんだ。童貞という垢をだ。電気式の後光によって照らされる女たち、客引きの老婦人ども、遊び人のくだらない連中を思いながら、からだがすぐに眠りを欲した。
 夜が明けて老人が顔をだしてきた。車の手配が完了したという。裏庭にワゴンが運び込まれた。楡の木のもとをとうに廃車になったのが停まる。──こいつを直して塗装してくれ。真っ白にな。頼むよ。──主人は黙ってうなずき、車体を片手で撫ぜる。そうやって車の心音を確かめるかのようだ。──修理代と黙秘は前払いだ。
  計画はどうなってるんです? 
   何人かを実際の広告や配布で働かせる、それで実行班の参考にするんだ。
  ぼくはそれまでここに?
   いいや、ちょいとやってもらいたいことがあるんだ。
   まだいえないが。
 それきりだ。老人は去り、またも重労働に狩りだされた。ワゴンを工場に運び入れ、まずは清掃だ。そのさきは主人の指導で道具や部品を手渡していった。はたからみていてかれはあまり乗り気でないようだった。そしてまたおなじ夕餉。かれは酒が呑みたかった。
  ちょっと買いものへいきたいのですが。
     なぜだ?
  呑みものを少し。
     それくらいここにもある。
  いえ、酒を。
     酒だって?
     ふざけるな!
     ばかたれが!
     おれが呑まないんだからおまえも呑むな!
  じゃあ、ジンジャーエールとパンだけでも。
     金を寄こせ、妻が買いにいく。
  ぼくは逃げませんよ。
     どうだろうな。
     くそに毛の生えた臆病ものにしか見えないがな。 
 そのあとは黙りこくって汁を啜り、サラダを喰った。きざまれたアンチョビだけが唯一の肉だ。夫人はじぶんのぶんを済ませてから買いものへでかけてった。眠りに就くまえにそれらを口にしながら、いったいじぶんがどこにいるのかを考えつづけた。しかしこの土地のなまえすらわからず、いったいじぶんがどの役をやってるのかさえ不明だった。翌日、三人のもぐらどもそれぞれ面接にでかけたらしい。つらのましなのが撰ばれて襟を正した。しかし当たりはでなかった。つらはましでも歳を喰ってて、職歴もあいまいだったからだ。
 つぎにふたりの男が面接を受けた。若づくりを施し、職歴を磨きあげていった。ひとりが採用されたものの、初日になってうそが暴かれ、戒告を受けた。そいつは腐ってやめちまった。そうやって、もぐらたちはすがたを消しつづけ、ふたりだけが残った。かれらは変装と身なりをととのえ、どやで待機に入った。
 そしてかれは作業員として暮らしつづけていた。夕餉のとき、主人がいう。
    おまえ、うちで棲みこみにならないか?
  え?
    あんなじいさんのいってるおたわごとなんぞで人生をむだにすることはないぞ。
    あんなの、昔から最低の客だ、おやじの代からのな。
  でもいまさら断れませんよ。金ももらっていますし。
    それぐらい働いて返せるだろうが。
    おれはあんなやろうのために捕まるのはごめんだね。
    おまえはちからがないがまぢめにやってる。
    どうだ?
  考えさせてください。
    まあ、いい。
    どうせ帰ってくるさ。
 喰いおえると皿を洗い、寝床へあがった。冷たい蒲団のうえであぐらをかき、本をひらく。しかしもはやなにもあたまへ入って来なかった。捕まってしまえば執行猶予はないだろう。重犯罪者として顔が国じゅうにまわされる。おぼろげだった不安が難い現実へとすりかわっていくのをじっと見つめた。──それからまた走り出せば、ほどなくベガスだ。──だれかが戸を叩いた。
   電話よ、じいさんから。
 子機を差しだす夫人の手が廊下の燈しで光ってた。しばらくみていたかったが、あきらめて耳をあてる。
    おまえさんにも仕事をやらせる。
  なんですか?
    あの奥さんとの仲をとりもってほしい。
  え?
  どうやって?
    にぶいやつだな。
    ふたりきりにしてほしいんだよ。
  わかりましたよ。
  なんとかやってみます。
 終わった通話を反芻しながら、かれは夫人の顔をみた。どうしたらいいのかが、まるでわからない。やせぎすだが美しい女、かれはそう名づけてからおもいなおして削除した。ばからしいものだ。なんだってこんなことをしなければならないのか。
 木曜の午、主人はでかけてった。かれは電話で老人を呼びだし、夫人を居間に呼んだ。あとは知らん顔を決め、廊下に立つ。やがてふたりが話しはじめた。それをぢっして聞く。それくらいしかできなかった。
    なあ、奥さん。あなたはダイエットのし過ぎだよ。
   ええ、わかってますわ。
   でももう粗食になれてしまって。
   いまさら返られないのよ。
    まえにいってたよな、こっからでたいって。
    その望み叶えてやれるよ、もうじき。明日だ。
   あまり期待できません。
    そんなこたぁない!
 あとにはえんえんと老人の講釈がつづいた。かれは壁越しに聞きながら手錠の重さについてめぐらしてた。


 金曜の明け方だった。うづたかくされた車体のあいまをぬうようにしてぼくは冷やされた緑の、その露をなめてた。とにかく舌が乾く。うしろになにかが立ってる。ふるい冷蔵庫で、あけはなたれたとびらには、ふるい、ダイヤル回転式の黒いやつ。受話器を手にとって話しをしてみる。
   どなた?
  やあ、おれだよ。
   おれさんね? 元気にしてるの?
  うん、そうだよ。
   いまどこに棲んでるの? お金はもってるの? それとも盗みでもやってる?
  ああ、そうさ、でかいやまをあてたんだ。
  いまに好きなことができるぜ。
   無駄なあらがいよ、すぐに捕まるって。 
  えっ?
   警察だって。 
  サツだって?
   決まってるじゃない。
  それはないね、おれのことはだれも知らない。    
   裏切りものだってでてくる。
  ああ、それは聞いてる。
   じゃあ、さっさと逃げて。
  でももんだいはない。ぜんぶわかってる。
   なにがぜんぶよ。わかってない。
  お願いだ、きょうは一日じゅう、赤いのを着ててくれ。
   ──わかった。
  じゃあ、頼むよ。──また遭おうぜ。
  しばらく潜んなきゃ。
  じゃあ。
   ぜったいに捕まるって。
 切って倉庫へ引き返した。れもんの若木が子供をもぎとられた女になってる。集まってくる男たちはみな、ぼくに冷たかった。
    逃げたんじゃねえかとおもったね。
  祷ってたんですよ。
     神を信じてんのか?
  いえなにも。
    じゃあ、なにに祷る?
  この朝に。
   ふざけるなよ。
    おまえのせいで豚にされるのはいやだからな。
 車が走り出して三十分が過ぎた。まず右後輪のタイヤがおかしくなりだした。煙がでたなとおもううち、車内へ強烈な臭いが発ちこめ、みなが顔を覆う。ぼくが片手で窓をあけてるま、車首はぶるぶるふるえだし、何台もの対向車から警笛を喰らった挙句、路肩にぶつかった。あとは静かなものだった。みな車を囲んで、無言のまま見つめていた。老人だけは怒り狂って手がつけられないありさまだった。安物の背広をしわだらけにしながら車体に蹴りを入れていた。やがてそれもおとなしくなった。息を切らし、空を見た。ぼくは莨を吸いたいのを堪え、じっと手を組んだ。朝の忙しい往来のなかに何人か、好みの女を見つけ、あたまのうちに留める。じぶんが真剣にものごとをうけとめられないことを笑いそうになった。あわてて打ち消し、状況に眼をやる。時間はあまりなかった。
   ここらで車を奪おう
 老人がいった。男たちは静かにうなづいて歩道を歩き出した。その先にコンビニエンス・ストアがある。それがはっきり見える。陽を浴みて白い。
       だめだ、もう。
 男のひとりが頭をふった。つよくふったから、そのままあたまがはずれてしまいそうにみえた。ひとりひとりがばらばらになって失せ、ぼくは老人とバスに乗って工場へともどった。主人はいない。どうやらしばらく潜るつもりらしい。妻は車庫で車を磨いてた。五七年式のサラトラ。黒い車体をよりいっそう黒くしながら、かの女の腿が昏らがりのうちでひらめく。布切れには血みたいのがついていた。血のような血だった。
  だめでしたよ、まったくだめでした。
   そうでしょうね。
   わかってたわ。
   ──主人はいま、いないのよ。
 しかしぼくは仕事にとりかかってた。鉄くず運びにただただ汗を流す。午が来て、それもやがてかなただ。夕餉を済ませてからふたりで寝室にいったとき、ぼくはじぶんの靴をかの女の寝台のしたへおいた。夜は傷みだした、鱈の臭いがする。とてもかんたんに篩いにかけられてたのだ。なにに?
  どうせなら、着飾ってくださいよ、きれいに。
   めんどうだわ。
  でもそのほうが楽しめそうだ。
 女には肉らしいのがなかったから注文した。すこしでもいいから他人のからだを感じたい。ぼくには裸なんてなにもおもしろくもなかった。めんどうにおもいながらもかの女は盛装してくれた。夏物のドレスに短い手袋をつけて、ストッキングとハイヒール。薄化粧に装身具、そして帽子。ぼくはかの女をうえにしてしっかりとかまえた。たがいの微笑みが工場からのグラインダーの音にぶつかる。老人がなにかやってるらしい。やがてそれも失せ、足音が廊下を伝わった。
    そこまでだ。
 そうやつがいう。
    いますぐにここをあけろ!
    あけるんだ!
 戸口のむこうからいつまでも声がしてる。いつまでも青年は笑ってた。笑いながら腰をふりふりして、かの女を愛していた。老人の叫びもやまない。やつの手にはつくったばかりの兇器が握られているのだ。おそらくは。
    おれの役割なんだぞ!
    そいつは!